女性活躍社会2
(パテントメディア 2021年9月発行第122号より)
会長 弁理士 恩田博宣
1.はじめに
去る6月30日の日経新聞の私見卓見の欄で、Talknote株式会社取締役の和田郁未さんが、次のような趣旨を述べています。すなわち、
「経営者は内部からも外部からも様々な課題を突き付けられる。これに対処するには経営陣を多種多様な経験や属性を持つ人材で構成するのがよい。そのためには女性の取締役が必要である。女性が責任あるポジションに挑戦できる機会を与えてほしい。私は社長から説得を受けて取締役に就任したが、能力を高め、視野を広げる機会を得られた。女性が自ら名乗り出て登用を求めることは難しいので、上司から女性に手を差し伸べてほしい。
男性の視点で、女性は優しさやおしとやかさなどで評価されがちである。女性らしく振る舞うことが幼少期から得策とされてきた。そのため、時に厳しく部下を叱責する必要のある管理職は合わない、と考えてしまうことが多い。女性側も意識を変える必要がある。職場というのは人の良さで評価されるのではない。能力で評価されるのである。男女間の能力差はないのだから、上司から提供されたチャンスは積極的につかんでほしい」とのことである。
この記事の中で、女性のキャリアアップに、上司から手を差し伸べるというくだりがいたく気になるところです。筆者の事務所では、現在実務部門で2名、事務部門で4名の女性マネジャーが活躍していますが、手を差し伸べて、マネジャーになってもらったという経緯はありません。彼女たちの力量が自然に評価され、マネジャーに選任されたのです。女性を登用して生産性を上げるということは、十分意識しているつもりなのですが、あえて手を差し伸べたという経験は皆無です。
ただ、実務部門で力量十分な女性にマネジャーへの就任を依頼したところ、やりたくないといって断られたことはありました。そのとき、熱心に説得を試みたのですが、これも手を差し伸べたことになるのかもしれません。
筆者の事務所の女性管理職の割合は28%(男:女=20:8)ですが、この比率をスウェーデン並みの50%超えまで高めるためには、積極的に手を差し伸べる必要があるということでしょう。というよりは、優秀な女性に対しては積極的に管理職への就任を口説く必要があるといえます。そうでもしなければ女性の方から、希望して申し出てくることはほとんどないからです。上記の和田さんのコメントからいいヒントをいただきました。
2.筆者の事務所における女性優位
筆者の事務所において、明らかに女性の能力の方が男性よりも高いといえる分野があります。
それはQCサークル活動(改善活動)における成果の挙げ方です。活動におけるテーマの選び方、その進め方、要因解析から対策の打ち方、さらには発表会におけるプレゼンテーションにいたるまで、男性に比較すると優秀であることが多いのです。
ちなみに、去る5月9日の所内発表会では金賞、銀賞、銅賞合わせて10の賞が授与されたのですが、8賞が女性グループ、2賞が男性グループでした。
なお、筆者の事務所におけるQCサークル活動は、35年目を迎え、6か月サイクルで行われています。毎回約45グループが一斉に活動します。
もっとも、筆者の事務所においては、女性は事務部門に集中しています。男性は実務部門に集中しているという事情もあり、業務の性質の違いから、女性の方が成果を出しやすいという見方もできます。それにしても、賞の割合は圧倒的に女性に傾いています。
実務部門にも優秀なリケジョがいます。弁理士の資格を取得し、特許明細書を作成し、外内出願のための翻訳をやり、さらに、子育てにも万全を期している女性所員です。
さらに、バイオテクノロジーの分野に長けた女性弁理士で、コロナワクチンで有名なアメリカの企業の厚い信頼を得て、同社の日本出願を一手にやっている所員がいます。
以上は女性の優秀さについての論証ですが、管理職となると、筆者の事務所ではその優秀さを活かすべく、さらに増員する必要性があります。
3.えるぼし認定の高いハードル
「えるぼし認定」というのは、女子活躍推進法に基づく制度です。行動計画を策定して届け出た企業で、推進状況が一定の基準を満たす企業を厚生大臣が認定します。この認定を受けると、「女性が働きやすい企業」として社会的に評価されるというわけです。筆者の事務所もこの認定を受けようと努力している最中です。しかし、その認定基準は高いハードルとなっています。そのハードルは次の通りです。
A)採用における競争倍率が男女同程度である
B)平均勤続年数や継続勤務者の割合が男女間で同程度である
C)時間外労働や休日労働時間の平均が45h/月以下である
D)管理職の女性割合が産業ごとの平均値以上である
E)3年以内に女性を非正規社員から正規社員に転換した実績等がある
4.筆者の事務所の現状
A)について、男女で競争倍率を変えているということは全くありません。ただ、技術系の応募者は明らかに男性に偏っています。そういう意味では実現にはかなりの努力が必要です。
B)勤続年数について、定年退職者は今のところ圧倒的に男性が多いのですが、女性の長期勤続者が大幅に増えていることも事実です。
C)この項目については、厳格に守られています。合格です。
D)同業者における女性管理職の割合がどのくらいであるかがわからないのですが、筆者の事務所における女性管理職の割合28%というのは、いい線をいっているのではないかと思います。
E)非正規所員が正規所員になった実績はもちろんあります。ただ、筆者の事務所においては、ほとんどの採用が正規採用で、非正規で雇うケースはまれです。意識的に作る必要があるかもしれません。
えるぼし認定までには、いましばらく時間がかかりそうですが、早期に実現し優秀な女性に成果を上げてもらいたいものです。
5.どんな女性が活躍しているか
さて、本号においても、筆者の事務所における女性活躍社会にふさわしい4人の女性に登場していただきます。
Kさん(特許第12部 弁理士)
自己紹介
文系教科の方が成績はよかったものの、理系教科の方が断然興味深かったので、高校3年で理系コースを選択しました。その後、工学系の大学と大学院を修了し、以来、ずっと技術職をしています。
同じ理系でも、生物・化学・薬学系と比較して、土木・工学系は特に女性が少ないので、自分がマイノリティであると感じながら大半の時間を過ごしてきました。とはいえ、工学系には実直でシャイな方が多いので、セクハラに悩まされたことはありません。好きな仕事をできて幸せとは思いますが、同性の仲間が少ないのは解消し難い悩みです。
入所までのこと
新卒では、大学の専攻分野の技術系総合職として就職活動をしました。活動の序盤、業界最大手の最終面接で「女の子はいらないんだよね」と言われ、不採用通知をもらいました。今から20年以上前のことですが、「これがガラスの天井というやつ!?」と驚いたのを憶えています。他の企業ではそんなこともなく、最終的には第1希望の企業に採用されましたが、採用担当者は「筆記の成績は女子が上位を占めるから、調整せざるを得ない」と話していました。
その仕事はやりがいはありましたが、技術者は出張で全国の現場を回り、転勤があり、連日終電近くまで残業していました。ある役員は「残業できないやつは技術にいらない」と公言しており、女性技術者は結婚や出産を機に事務職に異動するのが通例でした。
私は定年まで技術職で働きたかったので、仕事と家庭を両立できそうな業種を探し、この事務所に転職しました。
入所後の経歴
この事務所に入所したのは15年程前です。当初は国内特許部に配属され、先輩弁理士の指導の下、明細書の執筆と中間対応をしていましたが、4年前、希望して国際特許部に異動しました。以降、現在まで、外内出願、内外出願、雑事件などの国際業務をメインに、たまに明細書も書いています。
産休・育休を2度とりましたが、2度とも、休み前と同じ部署に同じ仕事内容で復帰し、特にブランクを感じることなく、仕事を続けることができました。メーカーや役所の技術職は専門性が高く、年単位でプロジェクトが動くので、途中で抜けると影響が大きいように思います。対して、特許事務所の仕事は技術分野が限定されにくく、1件が数週間程度で終わるので、出入りがしやすいと感じます。
とはいえ、誰かが育休をとっても人材が補填されることはないので、仕事の穴を埋めてくれた所属部署のメンバーには頭が上がりません。会社からも様々なサポートを頂き、この事務所に転職して本当によかったと思いました。(部門名は当時のもの)
仕事のやりがい
明細書を書くときには、発明者にインタビューし、図面構成を考え、アイディアを文章にしていきます。どの工程も奥深く、私が最も夢中になれる作業です。発明者から技術について教えてもらい、知財担当からその企業の知財戦略を聞くのは、いつも新鮮で飽きることがありません。
出願先や出願人は米国、中国、欧州など、多岐にわたります。海外の代理人とも直接やり取りし、互いに協力します。特許制度は国や地域毎に異なり、その背景を知っていくのは、世界中を旅するような楽しさがあります。名実ともに、世界が圧倒的に広がります。
特許権の存続期間は出願日から20年(時にはプラス5年)ですから、20年先の未来まで見据えて、「特許をとりたい!」という出願人の夢を一緒に追うのです。ここまで趣旨が前向きな仕事は、なかなかないように思います。
入所してうれしかったこと
昨年、技術職の先輩が、当所の女性定年退職者第1号になりました。さらにうれしいことに、その後もフルタイム勤務を続けてくださっています。その先輩は、元は事務職だったのですが、実力を買われて技術職に異動されたそうです。前職ではそこまで技術の仕事を続けておられる女性の先輩はいなかったので、また一つ、先輩が新しい道を開いて下さったのだ、と感動しました。
当所には、事務職で入って技術職に異動し、活躍している女性が何人もいます。他にも、性別を問わず、特許部から意匠・商標部への異動もありますし、配偶者の海外勤務に帯同して数年日本を離れた後に復職された方もいます。単なる出戻りも歓迎されます。
このように希望の職種で長く働けるロールモデルがあると、安心して働けます。最後まで技術職で働きたいのは、先輩が苦労して開いて下さった道を守り、数少ない仲間や後輩のためにできる限り道を広げなければ、という使命感でもあります。
QCについて
QCでは、全ての部署の一般職が、自らの発案で上司や他の所員を動かし、経営陣に提案し、組織のサポートを受けて、自身が理想とするルールを作ることができます。当所で、特に、組織内で決定権を持たない一般職の女性の活躍で、QCが活発になった理由は、自らの手で環境を変えるためのツールとして活用されたためではないかと思います。
かつては、部内でのミスを減らす、といった問題解決型のテーマがほとんどでしたが、最近は、課題達成型で新しいことをやろうとする、攻めの活動が目立つようになりました。活動が成熟してきた証です。QC発表会は、他部門の優れた人材の活躍を知る機会にもなっています。部門を超えたプロジェクトも活発になり、アメーバ経営で部署ごとに分断されがちな課題を共有する、有力なツールになりつつあると感じます。
「女性活躍」に思うこと
多くの差別は、多数派の無意識から生まれるマイノリティへの意識の及ばなさだと思います。女性の割合が過半数を超えれば「女性差別」も「女性活躍」も存在感が薄れ、女性部員の割合が多数になれば女性が部長になるのが自然でしょう。当所でも、事務職ではすでにそうなっています。
技術職ではそこまで至るのは難しいかもしれませんが、グループ内に異性1人は居づらくとも、複数いれば割合は少なくとも圧倒的に過ごしやすくなります。知財は力仕事もありませんし、思考の言語化とコミュニケーションに長けた女性には有利な仕事と思うので、リケジョの皆さんには、この仕事を(とくにオンダ国際特許事務所を)選択肢に入れて欲しいです。
若い男性が育休を取得できる職場なら、他の人も通院や介護をしながら働けるでしょう。融通の利く労働環境の恩恵を受けるのは、子育て中の女性だけではありません。助けを求めるのが苦手で逃げ場の少ない男性こそ、救われることがあるはずです。
部下の育成と子育ての関連について
子育てでは、「乳児は肌を離すな、幼児は手を離すな、少年は目を離すな、青年は心を離すな」と言われます。子供も部下も確実に育つものですから、その成長度合いを見極めつつ、邪魔しないようにサポートするのが年長者の役割かなと思います。
相性もありますから、チームで育てることも大切だと思います。ワンオペは本当につらいですしね。「子どもは親の言うことは聞かないが、することはまねる」と言いますから、直属の部下がいなくても、後輩の目があることを忘れないようにしています。
子供を育てると、代わって謝罪することに慣れ、その成長を喜び、みんな自分とは違うんだと実感することができます。結局、属性の特徴よりも個体差の方がはるかに大きいので、「男/女だから」「○○だから」と先入観で判断してもうまくいきません。
そもそも、当所に採用される方はみな優秀でしっかりしているので、どうすればあんなふうに育つのかな、と密かに思うばかりです。
Mさん(国際管理部 内外東京G)
私は2000年4月に新卒でオンダ国際特許事務所に入所し、以来約20年国際特許事務に携わってきました。これまでのつらかったことと嬉しかったことを順に振り返ってみたいと思います。
つらかったことはこれまでにたくさんあれど、20年のうちで“一番”つらかったことは、勤務し始めてから3~8年目に次々と同じグループに配属された後輩が辞めていったことです。思い出せるだけでも5人。新しく入ってきて、教えて、ようやく慣れたかな?という頃合いに、辞める。私の教え方がまずかったかな?仕事を割り振った量が多すぎたかな?そもそも私は自分の仕事に集中しすぎて周りの人達への配慮ができてなかったよな、殺伐とした雰囲気を出していたかな…、いやいやこの人は結婚で辞めるのだから仕方がない、でも…等々思い当たる節を挙げては毎回、人が辞めるたびに家で号泣していました。
当時たくさんの量の仕事を抱えていたのですが、仕事量自体はそこまでつらくはなかったです。夜遅くまでフロアに一人残り、好きなおせんべい片手に黙々と作業をするだけです。ですが、一緒に仕事をする仲間を失うのは私にとってはとてもつらかったのです。仕事の飲み込みが遅い後輩に対してもそれは同じ。私のことを嫌っているとわかっている後輩に対しても同じ。その人に対してかけた時間と思い、それが「辞める」ということで一気に無になります。それが一人や二人ならまだしも、三人以上経験して、一体私は何をやっているんだろう?何一つ学べなかったのか?積み上げられなかったのか?と悲しくなりました。
嬉しかったことはたくさんあります。まずは、私がつらかった時期に、上司・同期の友達が見守ってくれていたことです。当時の私の上司は、ある時、私とすれ違ったその瞬間に私の尋常でない雰囲気を感じ取られたのか、いきなり「ちょっと来て」と言って会議室に私を連れていきました。そして、「どうしたの?」と聞いてくれました。もうそれだけで当時の私は涙が止まりませんでした。私がつらい時でも、ちゃんと見てる人は見ていてくれるんだなぁ、と本当に嬉しかったです。同期の友達も毎日のように私の愚痴を聞いてくれ、私が見えていないこと、できていないこと、こう考えたらいいんじゃないの?など、たくさんのアドバイスをくれました。教えてもらったことをすぐに実践できるほど私は器用ではありませんでしたが、同じ気持ちを分かち合い、励ましあえる人がいるということは、当時も、そして今も私にとって強い心の支えです。
そして今、まさに嬉しいと思っていることは、よいチームワークで仕事ができているということです。去年の春先から在宅勤務となり、毎日会っていた仲間に会えない日々が今も続いています。でも、会えなくてもいろいろなことが伝わるんですね。ある時、私が仕事を抱えていて、ある書類の作成に手を付けられないことがありました。すると何も言っていないのに、「私、やれます!やります!」とグループチャットでメッセージが届きました。え、何?私の今の大変さ、わかるの?そして自らやる、って名乗り出てくれているの?とびっくりするとともに涙が出ました。変ですよね、会っていないのに泣けるって。在宅勤務中に自宅で感動して一人泣いているって。仕事を助けてもらった私が嬉しいのは当然ですが、このチャットを見ていたほかのメンバーも感銘を受けたようでした。みんなわかっているんです、つらい時に手を差し伸べてくれる人がいることのありがたさを。でもそれはなかなかできないことであるということも。私を助けてくれた仲間は続けてこうも言ってくれました。「ほかの皆さんが大変なのはよくわかります。だからやるとしたら自分だ!と思いました。それに、皆さんのためだったら、私、頑張れます!」と。更に涙が出たことは言うまでもありません。
こう振り返ってみると、「人との関わり」の中で私は仕事をしているんだな、と思います。特許事務所の事務なんて、淡々と書類を作成してるだけなんじゃない?と思われる方、全く現状は異なります(笑)。どの職場でも同じだと思いますが、一人では仕事はできないのだと思います。いろいろな人と関わり、時にぶつかりつつ、また時に一緒に喜び合う、この積み重ねです。これからも、上司、先輩、仲間と共に、濃い時間を共有していくことができるといいな、と思っています。
Yさん(特許第3部)
私がオンダ国際特許事務所に入社したのはおよそ20年前。就職氷河期のど真ん中でした。最終選考で、就職の担当者の方が話された、
「うちの事務所では新人さんであってもお茶汲みはしません。自分のお茶は自分で淹れます。所長であってもです」
との一言に衝撃を受け、この事務所に他の会社にはない、ある種の可能性を感じたことを記憶しています。その当時、新人女性のお茶汲みは当たり前の世の中でしたから、どこか先をいっているように感じたのかもしれません。
私は入所当時、総務に配属され、受付業務をしていました。ただ、この受付業務、私の性分に全く合わず、正直なところ、1カ月も経たないうちに辞表を出すことを考えていました。すると、総務の部長にこう言われたのです。
「君にしかできない受付をやってみなさい。やるだけやってから辞めても遅くないんじゃないか?」
それからというもの、受付業務の合間をみて、例えば近くのホームセンターに買い物に出かけていたのをネット通販に切り替えたり、手順書を整備したりするなど、周りと相談しながら身近な困りごとを変えていくようにしました。
そして1年を迎えて、そろそろやり終えたし辞表を出そうというタイミングになったそのとき、事務所がISOの取得を目指すために新たな部署を立ち上げるからそこのメンバーにどうか、と声をかけられました。話を聞くと、私が1年間の受付業務において変更したことをまとめた資料をみて、適材だと判断してくださったとのことでした。まさに転職先を探そうとしていた矢先でしたので、事務所内での転職も選択肢の一つかな、と新部署への異動を快諾しました。
とはいえ、特許事務所でのISO取得は全国初の試みで、まさに手探り状態。誰にも頼りようがなかったので、ISOの書籍を一人読み漁り、いつのまにか旗振り役のようにして事務所のISO取得に尽力することになりました。一応法学部の出身でしたので、条文をよみ、解釈をしてという作業はことのほか面白く、所内にISOを啓蒙する、発信するという役割も受付業務を経て自然に身についていましたので、やりがいと呼ばれるものを得ていたように思います。また度重なる会議で、事務所内の様々な部門の仕事の手順等をつぶさに見る機会を得ていたため、色々な仕事があるんだなぁ、あの仕事やってみたいなぁ、なんて考えたりもしていました。
そんなこんなで異動から1年がたち、無事ISOを取得しました。ただ、ISOの維持管理業務に全く興味を持てなかったので、今度こそ潮時だと辞表を用意しながら転職の計画をしていると、今度は特許の実務部門の方から、
「ISOでここまでできたのなら実務もやれるんじゃないか、挑戦してみる気はないか」
と声をかけられたのです。
そこで、一念発起し、入所から3年目にして特許の実務の道に進むことにしました。しかし、法学部出身で、機械や電気といった専門分野を持っていなかったため、事務所に持ち込まれる最先端の技術をみてもチンプンカンプン。何をやってもうまくいきません。一から知識を身につけるため、平日はただひたすらに資料を読み込み、土日は関連する本を読み漁り、夜遅くまで残業したりもしました。とはいえ、すぐに結果が出るわけもなく、どれだけ考えても2,3行の簡単な文章が書けなかったり、上司である弁理士のチェックで私が書いた文章が跡形もなくなってしまっていたり、と毎日が挫折の連続でした。もう辞めてしまいたい、と突然休みをとり、一人傷心で京都を旅したこともありました。でもあるとき、上司が私に言ったのです。
「この仕事は、腕さえあれば、結婚しても子供が生まれてもずっとやっていけるぞ」
その当時、岐阜オフィスの特許の実務部門には女性がおらず、結婚しても子供が生まれても仕事を続けるといったロールモデルがいませんでした。しかし、言われてみればその通りだな、この先ずっと続けていける仕事を手にしようとしているんだ、ならばもう少しだけ頑張ってみよう、やれなくて当然だけどやれたらすごいぞ、と妙な暗示をいっぱいかけてがむしゃらに頑張ってみました。
その頃からあと数年で20年になります。このところは、上司の弁理士の指導の下、特許出願後の中間対応を専門に仕事をしています。目の前の仕事にただただ誠実に取り組み、毎日が勉強である日々にずっと変わりはありません。しかしその間に、結婚して子供も3人授かり、産休育休を繰り返し取りながらもずっと仕事を続けています。10数年前、第1子の産休復帰の条件として交渉した週に数回の在宅勤務も、今ではリモートワークとしてすっかり市民権(?)を得ており、子供が3歳まで認められていた時短勤務は6歳までに延長されました。また、ここ最近のコロナ禍とも相俟って、所内のペーパーレス化、さらには取引先のオンライン納品等が進んだことから、女性に限らず全所員にとってますます働きやすい環境になってきています。そうした環境の変化もあってか、今では特許の実務部門のどの部署においても女性が活躍しています。そのような中で、私を活躍している女性の一人として取り上げてくださるのならば、それは私が挫折するたびに救いの声や手を差し伸べてくださった周りの方々に恵まれたこと、さらには成長を温かく見守ってくださっている事務所、取引先の皆様のおかげだと思います。この場をお借りして感謝を申し上げたいと思います。
NMさん(特許第11部)
入所年の4月から同年の11月までの8ヶ月間、岐阜オフィスで勤務していました。同年の12月1日付で東京オフィスに異動になり、現在に至ります。
岐阜オフィスで勤務している間は、上司である弁理士の補助として、自動車メーカー様の日本出願および中間処理を担当させていただきました。
東京オフィスに異動後は、同様に多くの会社様の出願業務に携わらせていただきました。現在主に担当させていただいている仕事は、半導体装置製造装置メーカー様の日本出願および中間処理、印刷メーカー様の日本出願および中間処理、外国出願および中間処理です。
現在の仕事のやりがい
第一国出願から外国での権利化まで一貫して担当させていただけるため、日本と他国とでの法制度の違いや、本願発明、引用発明の解釈の違いを実感できることです。また、日本で行っている仕事が外国にも展開されていることを実感することもできます。
自社技術として重要な出願、競合他社からの注目度が高い案件を担当させていただけることにもやりがいを感じています。こうした案件は、権利化までのみならず、権利化後の対応も必要になることがあります。当然ながら権利を維持することが必須になるため、プレッシャーも大きいですが、その分やりがいも大きいです。
入所以来一番つらかったこと
自分の成長が止まっていると感じられた時期が一番辛かったです。
入所から数年は分からないことを吸収できるため、新しい知識が増えること、新しいことができるようになっていることを実感できました。うろ覚えですが、入所から5年をすぎた頃になると、どんな案件を担当しても最低限の合格ラインを超えられるようなクレームを書くことができませんでした。この状況がおそらく数年続いたのですが(結構辛かったのでどのくらいの期間だったのかを覚えてすらいません…)、何を書いても何件書いてもうまくいかず、上司の弁理士に完膚なきまでに修正されることが続き、本当にしんどい期間でした。
入所以来一番うれしかったこと
自分の技術、知識、経験で少しでもお客様の役に立てることが実感できたことでしょうか。上記の辛い時期を超えた先に、やっとお客様の役に立つ仕事を自分の力ですることができると実感できました。おそらく、勤続10年を超えるか超えないか…の時期だったと思います。それまでは、この先この仕事で食べていけるのかも悩んだ時期でもありました。
QCに関して一番思い出すこと
当所では通常の改善活動だけではなく、新しい知識習得のために、QCストーリに載せて、勉強会を行うQCサークル活動があります。印刷メーカー様のご依頼を頂く数年前に、各国の法制度について勉強する機会がありました。このときは外国出願を担当するとは思ってもみなかったのですが、その後の備えになるよい機会でした。
部下の育成について
私には子供がおりませんので、部下の育成について一言。前述の、入所から5年を過ぎた頃のつらい時期を乗り越えた明確なきっかけはよく分からないのですが、その時期にメンターになったことが大きいように思います。OJTを通じて新人に教えているつもりが、私の方が多くのことを学んだのだと思います。私ができないことは新人には教えられないので、新人は私のできないことや分からないことを映す鏡だったのかもしれません。