どうしたらマネジメントはうまくいくか2
(パテントメディア 2019年9月発行第116号より)
会長 弁理士 恩田博宣
1.はじめに
先般、日本弁理士会の正副会長以下役員の皆さんが名古屋に来られ、当地区の会員との懇談会が開かれました。その席で一会員からの質問として、
- 弁理士手数料の値下がり傾向に対して、弁理士会として継続して打つべき施策はあるのか
- 弁理士受験生の著しい減少傾向は、弁理士という職業に対する魅力がなくなってきていることを示すが、この傾向が続くと優秀な人材の知財業界への参入がなくなり、日本の知財力が落ちることが予想される。弁理士会として取り組む施策はあるのか
という質問が出ました。
弁理士会会長の回答は「各事務所の自助努力で乗り切ってほしい」というのが、メインの主旨でした。
やはり具体的な方策を、弁理士会という組織として、考え実行することは、難しいようです。
このように厳しい特許事務所を取り巻く経営環境を乗り切るために頼りになるのが、京セラのフィロソフィ(経営理念)です。
本号においても、また、京セラフィロソフィを取り上げます。経営者としてそのマネジメントに対して、心すべきことが勉強できます。京セラフィロソフィを紹介し、自分自身にも言い聞かせながら、そのフィロソフィと符合する筆者の経験を述べたいと思います。
2.京セラのフィロソフィ
2-1)ガラス張りで経営する
ガラス張り経営について、フィロソフィでは次のように説明されています。すなわち、「京セラでは信頼関係をベースとして経営が行われています。そこでは、経理面をはじめ、すべてのことがオープンになっており、何ら疑いをさしはさむ余地はないシステムが構築されています。その一つの例として、「時間当たり採算制度」では、全部門の経営成績が全社員に公開されています。自分たちのアメーバ(業務・部門単位の小集団組織)の利益がいくらで、その内容がどうなっているのかが誰にでも容易に理解できるようになっています。一方、私たち一人一人も同じように心を開き、オープンに仕事をすることが求められています。このように社内がガラス張りであることによって、私たちは全力で仕事に取り組むことができるのです。」
さらに、公明正大であることが経営者の迫力を生む。交際費の使い方等で従業員に対して、「トップは陰でいい思いをしているのではないか」などと思わせるようなことがあってはならない。経営者は銀行借り入れでも、個人保証をして大きなリスクを負っているのに、一般的に報酬は非常に低くなっている。このように経営者の犠牲的精神が社会的な正義を守っている。という解説もされています。
【筆者の事務所のガラス張り経営】
筆者の事務所においても、決算の内容は以前からオープンにしていましたが、さらに2003年に、京セラの経営手法であるアメーバ経営を導入しました。それからは月次決算をオープンにするだけではなく、アメーバ経営の月次の成果もオープンにされています。すなわち、部門ごとの売上、費用(人件費を除く)、差引収益、総時間、一人時間当たり収益が、全所員が自由に見られるように所内ホームページに公開されます。
各部門の成果を発表する経営会議が毎月月初めに行われますが、そこでは全所の人件費を含めた経常利益も発表されます。
また、事務所全体の売上も、月初からの累積額が日々所内ホームページ上で見られるようになっています。このような、経理状況の公表は当たり前のことだと思っていました。あるとき大手特許事務所のベテラン所員が筆者の事務所の求人に応募してきたことがありました。その方から「今の事務所では、経理の状況は一切公表されていません」という話を聞いて、驚いたことがあります。最近ではそのような事務所は少なくなっているものと思います。秘密にすればいろいろな疑心暗鬼を生むばかりだからです。
アメーバ経営では、その運用に専門に携わる人材が必要です。筆者の事務所は300人規模ですが、経営管理部の所員2名がこのアメーバ経営の事務方として機能しています。各部から人員の変動、費用の動向等を聞いて、部門ごとの月次の予定採算表を作ります。その予定採算表を目標に各部は1か月の業務を行います。そして、実績採算表を作成するのですが、特に大変なのは費用が複数の部にまたがるときの振り分けです。例えば、一人の所員が出張して、特許と意匠の受注をしたとします。そうすると要した出張費は特許部門と意匠部門に振り分ける必要があります。何対何で分けるかが大変です。電気代水道代等は人頭わりで簡単に案分できますが、3対2なのか、4対3なのかを決めなくてはならないからです。
また、この経営管理部では年2回、各部の監査を行っています。年初にお客様から当所への要望事項をお伺いしていますが、それを部門長が把握しているか、実行しているか、不適合(ヒヤリハット、ミス)の是正処置が実行されているか、部門長の期限管理が手順通りか等々、約25項目を調べます。働き方改革により、残業時間管理については特に厳しく調べています。
アメーバ経営の良いところは、各部門の一人時間当たり月次収益(人件費を除く)が明らかになり、他部署との比較ができるところです。所員が経営者の気持ちになり「今月よりも来月は頑張ろう」というように、モチベーションアップにつながる効果があります。おかげでアメーバ経営導入前と比較すると、明らかに利益体質はよくなりました。
2-2)素直な心をもつ
素直な心について、フィロソフィでは次のように説明されています。すなわち、「素直な心とは、自分自身の至らなさを認め、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。とかく能力のある人や気性の激しい人、我の強い人は、往々にして人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発するものです。しかし、本当に伸びる人は、素直な心をもって人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることのできる人です。そうした素直な心でいると、その人の周囲にはやはり同じような心根を持つ人が集まってきて、物事がうまく運んでいくものです。自分にとって耳の痛い言葉こそ、本当は自分を伸ばしてくれるものであると、受け止める謙虚な姿勢が必要です。」
【筆者の素直な心】
筆者は素直さについて次のように考えています。他人が筆者に何らかのことを説得したとします。
そのとき筆者には、ほとんどの場合、「そうかもしれない。やってみよう」という心理が働きます。高校時代の悪友から「お金を貸してほしい。絶対に返すから」といわれて、本当に返してもらえるような気になって貸したことがあります。結果は返してもらえませんでした。証券会社の営業マンに「この株は儲かります」と説得されて、ついその気なって買ってしまい失敗したこともありました。
しかし、人生が終盤に差し掛かった現在振り返ってみると、「そうかもしれない。やってみよう」という精神は、差引プラスの方が圧倒的に多かったように思います。
特許事務所を開業し、青年会議所に入会したのは35歳のときでした。ほどなく指導力委員会の紹介でSMI(サクセス・モチベーション・インスチチュート)プログラムに出会います。いわゆる自己啓発プログラムで、「人生いかに成功するか」を学ぶものです。15週間かけて録音テープを聞き、人生6分野の成功計画を立てるものでした。当時としては非常に高額なものでした。
青年会議所では、そのプログラムを参考に指導力向上の勉強をしていました。そのプログラムを勉強して、成功した人は多いと、セールスマンから熱心に勧められました。いとも簡単に「そうかもしれない。やってみよう」精神を発揮、すぐに購入し勉強を始めました。導入部を聞いただけで、「もっと先が聞きたい」「次はどういう話が出てくるのだろう」と心躍る毎日でした。何の抵抗もなく素直に話の内容を受け入れることができました。そして、SMIは筆者の人生に対する考え方を、「小さく平凡に」から「着実に大きく」と変化させました。
筆者の事務所において、新入所員に導入部を聞かせ、希望者に全コースやってもらうことにしたところ、「私にはあまり合わないようです」という所員が出たこともありました。人の考え方は様々であることを実感しました。
SMIを勉強しての筆者の結論をまとめますと、「人生成功の秘訣は目標設定に在り」「目標を立てたならば、その達成日限とともに、紙に書いて見えるところに貼れ」「アファーメーション(成功した状況を積極的肯定的に宣言する文章)を作って毎日大声で唱えよ」「成功した状況をビジュアライズできる写真または絵画を用意して毎日凝視せよ」というものでした。
SMIでは「成功」を「価値あると思う目標を段階を追って達成すること」となっています。必ずしもお金持ちになることだけを言っていません。
目標をその達成日限とともに、紙に書いて貼る効果は、次のとおりです。
目標達成が順調に進んでいれば、その紙はあたかも成功を約束し、励ましているかのように見えます。しかし、日限が近づいているにもかかわらず、遅々として目標へ近づいていないようなときは、その紙は「日限は近くなっているぞ。大丈夫か。もっと頑張るべきだ」のように語りかけてきます。紙は筆者を目標達成へと駆り立てるのです。うまく進んでいないときは、その紙は実に嫌な存在で、破りたくなります。
筆者が立てた目標でよく覚えているのは、ゴルフ場(岐阜関CC)会員権の購入目標でした。当時筆者がメンバーになっていたゴルフクラブでは、メンバーの数が多すぎて、予約がなかなか取れないため、満足にプレーができませんでした。岐阜関CCメンバーの友人が「簡単に予約できるし、予約なしでもプレーできる」と熱心に勧めてくれました。「そうかもしれない。やってみよう」精神で何としても、メンバーになろうという目標を立てました。当時、小さいながらも自社ビルを建てたばかりで、ゴルフ場の会員権の購入など常識外でした。しかし、ゴルフクラブをもって、岐阜関CCのフェアウエイを闊歩する夢を何度も見るのです。「どうしても入手したい」と欲望は際限なく大きくなっていきました。熱心に銀行を口説き、父親にも多少の借金をして、メンバーになるという目標は日ならずして達成されました。ここで分かったのは、寝ても覚めても達成したいと思うようになった目標は、必ず達成されるということでした。
もう少し大きな目標を立てたこともありました。「出願件数で東海地区一番の特許事務所にする」「その事務所は一流の大企業からも使ってもらえる、組織で仕事をする事務所」という目標でした。
当時どのようなアファーメーションを作ったかは、記憶にありませんが、多分次のようなものだったと思います。目標が達成された状態を想定して、宣言するのです。「所員数50名を超えた。実務教育も接遇教育も進んでいる。よく優秀な人材が集まったものだ。社屋も十分広い。執務環境としては十分だ。特許出願件数は年間1000件を超えた。顧客もT社系列大手企業3社を含む50社以上になった。さあ、今日も頑張ろう」
この状態をどうしても達成したい目標として、繰り返し声を出して読むことにより、目標が潜在意識に定着していきます。そうすると、無意識に行う決断、とる行動がすべて目標を達成する方向となるのです。
ビジュアライズとしては、当時訪ねた大手特許事務所の広いロビーを脳裏に描いていたように思います。早くこんなロビーのある事務所にしたいというわけです。この目標も潜在意識では、「達成されて当たり前」となっていて、達成されたことすら気づかないほどでした。
SMIの勉強は筆者の人生に対する考え方、取り組み方を劇的に変えました。「平凡こそ最良」と考えていた筆者は、いくつかの短期目標を立て、それを成功させるうちに、目標を立てて努力すれば、それは現実になることを実感し、常に目標をいくつか持ちそれに向かっていました。現在の最大の目標は、所員の給与を年平均数十万円上げることにあります。
2-3)利他の心を判断基準とする
京セラのフィロソフィでは次のように説明されています。すなわち、「私たちの心には「自分だけよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。
一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、周りの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断すべきです。
では、利他の心で判断するにはどうするのでしょうか。マネジメント上で判断を迫られたとき、瞬間的に判断したのでは、利他の心で判断していないかもしれません。そこで、結論を出す前に一息入れて、「自分だけの利益を考えて判断していないか」「相手方の利益にもなっているか」をよく考えてみて結論を出すようにと、フィロソフィでは説明されています。
【筆者の事務所の「利他」のケース1】
筆者の利他の心での活動や仕事の対応を説明しましょう。筆者は開業以来50年間にわたって、岐阜県関市(刃物、金属洋食器の町)の商工会議所で発明相談を担当してきました。通常、商工会議所での発明相談というと、無料相談になります。特許明細書を自分で書いてきて、「これでよいか見てください」という相談がありますと、「形式は整っています。これで内容が十分か否かの判断は出願に関する口頭鑑定になりますので有料になります。事務所に来てください」のように応答することが多いのです。相談者はこの明細書で十分な内容になっているかの回答を求めているのですから、こんな回答では大いに不満です。通常素人が書いた明細書はせいぜい2,3ページ、とても特許庁での審査に耐えられる内容にはなっていません。
筆者は相談当初から実質に踏み込みました。発明の内容を説明してもらい、「これでは発明の内容を理解するのに不十分です。自分で満足な明細書を書くのなら、私が指導しますので、3,4回続けてこの発明相談に通ってください。発明協会に特許明細書の書き方という冊子があります。その本を買って、まず、構造の説明を書いて次回持ってきてください」と話します。
そして構造はどのように書くか、例を示して教えておきます。次回、自分で書いた構造説明を持ってこられますが、とても使いものになる内容ではありません。筆者が加筆訂正します。3,4回来てもらうと結局は筆者作成の明細書が出来上がることになります。当時はまだ紙出願でしたから、封筒に切手を貼るところまで指導して、郵便局へ行ってもらいます。
また、「先生、この製品を売り出そうと思いますが、ちょっと調べたら、こんな特許公報が見つかりました。売ると侵害になりますか」という相談が時々ありました。
こんな時は鑑定の仕方を教えます。「特許請求の範囲に書いてあること全部があなたの製品にあれば侵害になります。1つでもなければ侵害にはなりません」
「では、特許請求の範囲を文章の切れ目ごとに分けてみます。5つに分かれましたね。では、訊きますよ。1番目の構造はあなたの製品にありますか」「あります」「2番目はどうですか」「あります」「3番目はありますか」「ないように思いますが」「そうです。ありませんねえ。」「4番、5番はどうですか」「4番はありますが、5番はありません」「そうですねえ。では侵害ですか、そうではありませんか」「2つもないのだから侵害ではないということになりますか」
「わかりましたね」
筆者は結論は出していませんが、相談者は十分理解し満足です。この相談について、「それは属否の口頭鑑定になるので有料です。事務所に来てください」と対応していたのでは、相談に来る人はいなくなってしまいます。
多い相談は「こんな製品を作ったのですが審査を通るでしょうか」という種類のものです。どう対応するか。どう実質に踏み込むか。難しい問題です。筆者は次のように対応しました。「正確に判断するには調査が必要です。従って、私の判断が必ずしも正しいとは言えませんが、説明してもらったアイディアは私の経験と勘からいって、それほど高度のものとは言えないものの、アイディアは面白いし、私もそんなに値段が高くなければ一つ欲しいなと思うくらいです。また、構造もよく考えられた要素がいくつかあります。従って、大きな権利取得はできないかもしれませんが、限定を多くすれば通るのではないかと思います」
相談者はこのような不確定な回答でも、十分満足されます。時には「調査をお願いします。」と、受注に結び付くこともありました。
このように対応した結果、相談者数はどんどん増えていき、行列ができるほどになりました。月1回だった相談日を2回に増やしたほどでした。だだ、バブルの崩壊とともに、地場産業の衰退が進み、相談者数が減少、今では3か月に1回の相談日となっています。
無料で明細書を書いて差し上げ、属否の口頭鑑定を行ったのは、確かに利他の心が働いていたと思うのですが、「情けは人ためならず」です。その人が「以前出願してもらった製品で儲かりましたので、今度は先生の事務所に依頼します。」ということが起こりました。無料発明相談から、具体的な受注に結び付くことも多かったのです。開業当初の筆者の事務所の発展に大きく貢献しました。
【筆者の事務所の利他のケース2】
出願依頼をいただくお客様は通常、ものづくりの企業が多いのですが、ときには自分では事業を行っていない素人の方が出願依頼に来られることがあります。このようなとき、筆者の事務所では次のように対応するようにしています。
まず、お客様からアイディアの説明を受けたのち、「このアイディアはご自分で実施されますか」と尋ねます。通常返事は「通ったならば、しかるべき企業に作らせて、そのライセンス料をもらいます。」のように言われるのです。そこで、「当所の経験では、このようなアイディアは、仮に通ったとしても、実施してくれる企業はほとんどありません。このアイディアが通ったとすると、当所にお支払いいただく料金は、印紙代を含めてトータルで100万円くらいになります。しかし、あなたがこの100万円を取り戻せる可能性は限りなくゼロに近いと思うのです。大変失礼な言い方ですが、私なら100万円は旅行か、趣味に使うのですが、いかがでしょうか。」
ちょっと依頼者を馬鹿にしているように聞こえてしまうかもしれませんが、筆者の事務所が数万件の出願を取り扱った中で、素人(自分で実施しない人)が特許権を取得して、数十万円~百万円の収益を上げたケースは、たった2件しかありません。この実例も話しながら説得します。
しかし、発明者はかなり燃え上がっておられることが多く、どうしても出願すると主張されることもあります。そこで筆者の事務所では「では保険をかけるのと同じですが、通るかどうかのまずは調査をされてはどうでしょうか。調査料金はお見積もりいたします。お見積もりがでてから調査依頼をいただければOKです」
多くの場合、調査によって公知例が見つかり、あきらめていただけます。通りそうだという結論になると、出願の運びになるのですが、「冥途の土産にしかなりませんが、いいですね」と念を押してから出願手続きを進めるようにしています。
このような対応は、筆者の事務所としては、一生懸命利他の心で頑張っているつもりなのです。
2-4)小善は大悪に似たり
フィロソフィの説明は次のようになっています。すなわち、「人間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。しかし、それは盲目の愛であったり、溺愛であったりではいけません。上司と部下の関係でも、信念もなく部下に迎合する上司は、一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善といいます。「小善は大悪に似たり」といわれますが、表面的な愛情は相手を不幸にします。逆に信念をもって厳しく指導する上司は、煙たいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることになります。これが大膳です。真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当に良いことなのかを厳しく見極めることなのです」
そして、IBM社の話が出ています。IBM社は社員の勤続年数が比較的長いのですが、そのIBM社の社是の説明です。
北国の湖の畔に老人が住んでいて、湖に冬の季節に集まる雁たちに餌を与えていました。何年かするうちに、雁たちは老人から与えられる餌を頼りに越冬するようになりました。しかし、老人が亡くなってしまい、雁たちは餌をもらえなくなりますが、自分たちで餌をとることができず、皆餓死してしまいました。
IBMでは老人が餌を与えるような社員の育て方はしないというのです。餌を与えられないとしたら、雁たちは越冬するため、餌をとるのに厳しい状況に直面しなければなりません。しかし、厳しい餌探しに耐えてこそ生活力のある強い雁が育つのです。まさに「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」だといえます。
【筆者の「小善は大悪に似たり」1 内部留保】
筆者が大善、小善を痛感したケースがありました。それは2008年、経済界を襲ったリーマンショックです。筆者の事務所の特許出願件数をはじめとする受注は激減しました。収入だけでは給与を支払うにも事欠く状態となったのです。この状態を支えてくれたのが内部留保でした。
多くの経営者は、「税金を払うよりは、従業員に給与やボーナスをたくさん支給してやりたい」と考えます。もちろん、自分の収入を増やすことも考えるでしょう。
その結果、事業で多くの利益が上がると、ボーナスを増額し、昇給を多くして、費用計上し、納める税金の額を減らすということが行われます。事業所の利益は減り、納める税金の額はおさえられます。利益の約半分を税金として納めなければならないのですから、経営者がこう考えるのも無理はありません。
従業員は喜び、幸せを感じます。従業員の待遇をよくできた経営のトップは、そのことを誇りに感じます。「当社はボーナスを本給の6か月分支給できた」等と誇らしげに語ることができます。経営者も従業員もウイン・ウインで、まさに善行に当たります。好景気が続き、毎年、毎年多額の利益が上がっているときには、問題は生じません。しかし、この行いは小善であって、大悪につながるのです。
その影では、社内の内部留保、すなわち、貯蓄はできません。会社としての蓄えができていかないことになります。2008年のリーマンショックのようなパニックが起こると、一気に景気が暗転し、仕事がなくなり、会社としての収入が激減します。会社の内部留保がないと、給与の支払いにも事欠くことになります。いきなり給与カット、リストラへと進まねばなりません。最悪のときは、会社倒産ということにもなりかねません。会社に利益を計上せず、ボーナスで費用化してしまうのは、小善であるといえます。その結果不景気になって起こる給与カットやリストラは、大悪といえましょう。
経営者にとって、多額の税金を支払うよりは、従業員の喜ぶ顔を見たいというのは本音です。従業員側から見ても、「そんなに利益があるのならば税金なんか払わずに、俺たちに支給してくれればいいのに」という感情も当然ながらあるでしょう。それをボーナスの増額をほどほどにして、税金を多額に払うのは、ある意味では従業員に対して、情け容赦ない「非情」となるわけです。不景気に備え、景気のよいときに税金をたくさん払い、その額と同じだけの蓄えを積み増しておく。そうすれば、収益が大幅に悪化しても、リストラをすることなく、ボーナスもほどほどに支払い続けることができることになります。これが大善となるのです。
筆者は若い頃、コンサルタントの先生から、「税金をできる限り払え」と教えられ、それをできる限り実行してきました。その効果は理論的には理解できても、実感はできませんでした。開業してからしばらくは、ボーナスと税金の支払いのときは、必ず銀行から借金をしなければなりませんでした。なんで借金までして、税金を払わねばならないのかと疑心暗鬼でした。しかし、税金を払い続けるうちに、内部留保が少しずつ多くなり、借りる金額が減り、やがて借りずに済むようになりました。そして、2008年のリーマンショックで、その効果を心から実感させられました。仕事がなくなり、収入が激減する中、大変な不安感があったのですが、給与カットはなしで、ボーナスもほとんど減らすことなく、通過できたからです。リーマンショックの後遺症は長く続きましたが、徐々に受注件数も回復していきました。
これほど「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」を如実に示すケースは多くはないでしょう。
【筆者の「小善は大悪に似たり」2 QCサークル活動】
当所は33年間にわたってQCサークル活動を継続しています。その成果も顕著なものがあります。長期間継続してきて、本当に良かったと思っています。仕事の品質をアップするためのQC活動も多く行われたのですが、それをいくらの利益というように、直接金額評価することはできません。この品質アップの活動を除いて、節約額を計算できる活動だけでも、累積してみると多額になっています。おおよそ当所が従業員に支払うボーナスの額にも匹敵します。
しかし、今でこそ多大な成果を挙げているQCサークル活動にも紆余曲折がありました。
今から20年ほど前、QCに関するアンケートを従業員から取ったことがありました。ほとんどの従業員はQC反対。QCには猛烈に時間がかかるため、「QCに使う時間を明細書や図面作成に使った方が、能率が上がる」という理由でした。
筆者は「これほど嫌がるのならQCは止めようか」と悩みました。もし、そのとき止めていたとするならば、大悪を演ずるところでした。従業員は負荷が減りますから、仕事が楽になり、一時の幸せを感じます。小善です。
そのとき、大企業の知財部長を経験された後、筆者の事務所で勤めてくださっていたKさんから「QCを熱心に推進している会社でも、従業員にQCをやるかやらないかのアンケートを取れば、止めたいという者の方が多いに決まっている。それを経営トップの強い意思で引っ張っていくのがQCだ」と言われたのです。考え直してやり続けました。従業員にとっては、本来の仕事の他に、嫌なQC活動を続けなければならないので、「当所のトップは情け容赦もない」ということになります。まさに「非情」です。
その結果、能率アップで残業時間を減らすことができたり、仕事がやりやすくなったり、仕事の正確性が高まったり、人件費の高騰が抑制できたり、コミュニケーションがよくなったり、団結力が高まったり、その上に節約効果が前述のように、ボーナスの額にもなったのですから、成果は絶大だといえるのです。従業員にとってもいいことばかりです。大善は非情に似るのです。
なお、QCの最後の工程では、歯止めをかけ、成果が継続するようにしますので、節約額は累積的に増大していきます。QCをやったときだけではなしに、その後も継続して効果を発揮するのです。
昼休みには照明を消しましょう。パソコンを消しましょう。というQCがありました。活動中は当番を決めて照明を消すとか、パソコンすべてに、「昼休みには電源を切って下さい」という表示をする等して、全員が協力します。1か月約3万円の節約効果が上がっても、活動期間6か月が終わって、あちらの照明がついていたり、こちらのパソコンがそのままになっていたり、知らぬ間に元の木阿弥になってしまった、という場合には歯止めがかからなかったということになります。逆に何か月たってもきちんと守られているときは、歯止めがかかったということになります。
例えば、筆者の事務所においては、国際管理部外内グループの過去の活動の中に、次のような活動がありました。6人体制のグループだったのですが、その内の1人が産休を取ることになりました。何とか5人でできないものかという課題を、QC活動で取り上げ、すさまじいまでの工夫と対策を打ち、活動をやりきったのです。節約額は年間600万円にも達しました。この効果はそのQC期間だけではなしに、その次の期も、その次もと、ずっと続くのです。活動によっては歯止めがかからないこともあるのですが、筆者の事務所では80%のQC活動に歯止めがかかっています。
この活動を始める頃は、6人体制でも毎日のように午後10時頃まで残業しなければならないほどの忙しさでした。通常なら「こんなに忙しいので、QCは勘弁してください」という要求が出てきそうです。しかし、筆者は「だめだ。どうしてもやれ。時間がないなら寝ずにやれ。」と、情け容赦なく命令しました。非情です。しかしその結果、QC活動を見事にやりきったとき、そのリーダを務めた所員から、「あれだけ忙しかった仕事が、QCでスコンと楽になるんですよ。QCってやらないといけませんね。」との感想が聞けたのです。楽になるといってもせいぜい40分程度の残業短縮だったのですが。これぞ大善と大見得を切ることができます。
3.おわりに
ガラス張り経営、素直な心、大善小善に関する京セラフィロソフィについて、筆者の経験からコメントしました。特許事務所であろうと知財部であろうと、あらゆる組織におけるマネジメントには、京セラフィロソフィが大いに参考になります。皆様の組織の活性化にお役立ていただければ幸いです。