知財マンの心理学10 人生脚本2
(パテントメディア 2016年9月発行第107号より)
会長 弁理士 恩田博宣
1) 始めに
前回から「人生脚本」を取り上げています。人の行動のパターンや思考パターンを支配する基本的ポジション(パテントメディア103号参照、当所HPでご覧いただけます)のほかに、同じように人の行動やものの考え方を規制する人生脚本があります。
基本的ポジションは生まれてから3歳くらいまでの間に主として、育ての親である母親との関係で形成されます。一方、「人生脚本」は3歳から14歳くらいまでの間に経験する心理的に強い印象を残す出来事によって形成されるといわれています。
前回、脚本がどのように形成されるのかを、禁止令「感じてはいけない」のケースについてみてみました。ドライバーについては、筆者の脚本「急げ」を紹介しました。
さらに、マイナスの人生脚本はマリリン・モンローの禁止令「幸せになってはいけない、愛は必ず失われる、愛は持続しない」のケースについて説明しました。プラスの脚本の例として、勝海舟の「人間信頼、九死に一生」のケースを取り上げました。
2)人生脚本にはどんなものが
前回いくつか例示した人生脚本を復習のため、いくつか以下に掲載します。
- 禁止令といわれるもの。
- 存在してはいけない
- 所属してはいけない
- 成長してはいけない
- 感じてはいけない
- 成功してはいけない
- 重要であってはいけない
- 健康であってはいけない
- 楽しんではいけない
- 幸福になってはいけない
ドライバーといわれるもの
- 急げ
- 完璧であれ
人生にプラスの影響を与える脚本
- 九死に一生
- 人間信頼
- 豪放磊落
- 世のため人のため
- 滅私奉公
- 素直に
3)人間不信
今回は筆者が体験した、マイナスの人生脚本「人間不信」「親切にされても人を信じてはいけない」を取り上げます。登場人物Sさんはすでに他界されており、40年以上前の話ということで紹介させていただきます。一部推測を含みます。
3-1)Sさんの幼児体験
Sさんがまだ小学校3年生の頃、Sさんの父はありえないはずの事件に遭遇しました。商売をやっている親友に頼まれて保証人になっていましたが、その商売がうまくいかず、倒産し、保証請求が突き付けられたのです。順調に推移していた親友の商売を見て、Sさんの父は倒産などということは、想像すらせず、保証に応じたのでした。
Sさんの父はかなりあった土地やアパートその他の財産を処分しなければなりませんでした。Sさんの父はSさんに対して、何度も何度も言って聞かせました。「どんなに親切にされても、人を信頼するな。下手をするとお父さんのようになるぞ。いいか、わかったか」と。
それまで何の不自由もなかったSさんにも父が財産を失った影響は、当然のことながら否応なしに振りかかってきました。Sさんの父はこの事件の影響で、公務員を退職しなければなりませんでした。一家の生活はどん底に落とされたのです。定年間近のSさんの父を雇い入れてくれる企業はありませんでした。やむなく、近所の工場の現場で作業員として働いたのです。しかし、さらに不幸が襲いました。その工場は番頭格の社員の使い込みが原因で、倒産して閉鎖され、社長は給与を払わないまま、夜逃げしてしまったのです。Sさんの父は一度も給料を受け取ることなく、ただ働きをさせられたのでした。
Sさんの父の落胆は、そうとう過酷なものでした。この様子を逐一目のあたりにしたSさんは、無意識のうちに人間不信を募らせていったと思われます。
この非常に過酷な経過をつぶさに目の当たりにしたSさんも、父親と同じつらさを実体験し、「人間不信」の脚本を形成していったと思われます。そのほかにもSさんは、自身の人間不信を助長するようないくつかの体験をしているはずです。しかし、それらについて筆者は確認していません。
3-2)発明家Sさん
Sさんと知り合ったのは、筆者がまだ30歳代の若いころでした。Sさんは当地の発明協会の会員ですばらしい発明をいくつもしていました。その中には例えば、汚水の浄化装置や自動車のブレーキに関する優れた発明がありました。百件にも達する公開公報を見せてもらったことがあります。当時Sさんの職業ははっきりしませんでしたが、筆者はそれを詮索することはしませんでした。Sさんは発明をしても、特許事務所に頼むことなく、自分で出願書類を作成し、出願していました。明細書の書き方を勉強するために、無料発明相談会に来て筆者と知り合ったのです。大変聡明な人で、ときならずして筆者が教える明細書に関する知識をすっかり吸収したようでした。発明の一般公募でもしばしば上位に入賞し、時には何十万円もの奨励金をもらうようなこともありました。
筆者は考えました。「Sさんは必ずその発明によって世に出るだろう」と。Sさんは親しくなった筆者のところに時々相談に訪れました。「発明を実施してくれる企業を紹介してほしい」との希望に応えて、筆者は積極的に何社も紹介しました。Sさんを世に出すための協力を惜しみませんでした。
3-3)実施料率40~50%
しかし、意外なことが判明しました。あるとき、Sさんが「実施をしてくれそうな企業が見つかったので、実施契約の相談に乗ってほしい」と言ってきたのです。筆者はもちろん無料で彼の希望を聞いて契約書案を作りました。しかし、Sさんは通常実施権であるにもかかわらず、頭金を数百万円、実施料率も売上の40%~50%を請求するといって譲らないのです。通常3%~5%なので、それがいかに非常識であるかを筆者が説明しても、「実施権者が儲かればいいのだから」といって、筆者の意見は聞き入れられませんでした。
そのうちに、実施権者になろうとする企業側からも意外な事実が聞こえてきました。
Sさんは交渉に先立って、まず、「実施契約にサインしてください。そうしたら発明の内容を教えましょう」と言うのだそうです。
発明の内容は実施可能で事業化したら成功するだろうと思われるものがいくつかあったのですが、筆者の紹介した多くの企業では、結局実施契約は一件も成立しませんでした。
それでも筆者のSさんを世に出そうという気持ちに変化はありませんでした。現在の筆者ならば、Sさんの「人間不信」という脚本を見抜き、それは非常に根強く簡単には修正できないことを理由に、Sさんからさっさと手を引きます。
そのような勉強のできていない当時の筆者は、さらにSさんとの関係を深めていったのです。
3-4)アメリカ出願
Sさんは自動車のブレーキ関連の発明について、「日本ではだめだからアメリカで勝負してみたい」と言い出しました。アメリカへ出願をしたいということで、筆者の事務所へ依頼してきたのです。「日本ではだめ」というのは、「人間不信」の表れですが、それを見抜けなかった筆者は「そうかもしれない。Sさんを世に出すにはいい方法かも」と思い、協力することにしたのです。
現地代理人の費用だけでもばかにならない額になるものですから、Sさんに「費用の支払いをどうするか」と訊くと、収入の予定を具体的に示して、それで支払うというのです。支払方法を明確にして、契約書も作って、手続きを進めました。
しかし結局、筆者の事務所の手数料も現地代理人の手数料も支払われることはありませんでした。
手数料の請求の電話をしても言を左右にし、そのうち電話が筆者からのものだとわかると、いきなり切られてしまうようになったのです。当時の筆者の事務所にとっては、ばかにならない金額だったものですから、やむを得ず、支払い命令をかけました。しかし、Sさんは異議申し立てをし、支払い命令事件は本訴になってしまったのです。Sさんは訴訟も自分でできるほど、その分野にも強かったことが、後から判明しました。
反論の趣旨は、発明の内容に踏み込んでの議論でした。「私は発明の内容を…のように依頼したのに、そのようにアメリカに申請していない」等と長い準備書面が提出されたのです。筆者の側も弁護士を頼んで、必死に反論したのです。裁判所も技術には明るくありません。裁判は膠着状態に陥りました。
Sさんの戦術は巧妙でした。期日に出頭しないのです。そうすると中止の決定が出るのですが、取下効が働く3か月直前になると、審理再開申立をするのです。いたずらに年月だけが経過していきました。
1年、2年・・・10年も経過したのです。筆者を代理する弁護士からは「私が和解金を支払うので、和解にしてほしい」と言い出されました。とうとう筆者の方が和解金を支払い、その訴訟を終結させました。Sさんの粘り勝ちでした。
3-5)70億円の損害賠償訴訟
続きがまだあります。Sさんは外国出願依頼書に関して、私文書偽造で筆者を告訴したのです。依頼書には彼自身が署名捺印したのですが、費用の支払い方法について筆者事務所の所員が代筆したのを取り上げてのことでした。筆者は警察署や検察庁において、取り調べに応じなければなりませんでした。筆者はいささか腹を立てていましたので、検事から「不起訴にします」との通告を受けたとき、虚偽告訴罪で訴え返したいと申し出ました。そのとき意外なことに検事から「Sさんは裁判所でも検察庁でも札付きの訴訟マニアです。仕事が増えるばかりなので、どうかそれだけはやめてください」と言われたのです。
さらに、この事件に関連して、Sさんは筆者を被告として、「70億円の損害賠償を支払え」という訴訟を起こしました。米国特許が思った通り特許になれば、それだけの利益があったというわけです。大新聞がこの事件を取り上げようとしたことから、大変なピンチに陥りましたが、詳しく事情を説明して、ことなきを得ました。
4)人間不信の分析
幼少期に「人間不信」の刷り込みが行われたとしても、Sさんほど程度が強烈なケースは珍しいといえます。他人は誰一人信頼できない人生を送ることになってしまったのです。気の毒としか言いようがありません。
Sさんは「人間不信」のはけ口を告訴や訴訟に求めていたと思われます。しかし、どの訴訟や告訴も決してうまくはいかなかったことでしょう。
筆者に対する一連の事件も、アメリカ出願の手数料を支払わずに済んだだけではなしに、和解金まで巻き上げたのですから、一見大成功だったのですが、発明で自分を世に出そうと援助してくれる大切な人を失ったことになります。Sさんにはむなしい思いが残ったにちがいありません。
予定していた収入が遅れたために、支払不能になったならば、その事実を正直に打ち明け、支払いの時期を先に延ばしたり、分割払いにしたりするよう交渉するのが普通の対応です。しかし、Sさんの場合は、それを相手の弱点を突くことによって解決しようとしたのです。「弱みは見せないぞ」というところにも、「人間不信」の兆候が見えます。支払いを猶予してもらったとしても、その後の相手の対応も信頼できないSさんにとっては、自分を守るためのもっとも合理的な対処法だったと思われます。
Sさんにとっては「人は信じてはいけない」存在ですから、分割払い等の発想は出なかったと思われます。出たとしても受け容れられないと考えたのではないでしょうか。何度も父親のつらい場面を目撃したSさんにとって、土下座するようにして頼み込み、急場を切り抜けるようなことは、死ぬほどつらいことだったに相違ありません。無意識のうちにそういう行動を避けてしまったといえます。
告訴を仕掛けたり、70億円の別訴を提起したりする行動も、攻めているときは自らは不利な立場に立たなくて済むのですから、Sさんにとってはもっとも合理的な行動となるのです。
5)人間不信の結果
Sさんの人間不信の結果は、世の中からSさんへの不信となっていきました。Sさんは徐々に孤立していったのです。例えば、Sさんからアイディアの売込みがあって、そのアイディアの素晴らしさに惚れこんだ人がいました。ところが、いざ実施交渉を入ろうとすると、それを知った周りの人はSさんに関する種々の事実や噂をその人に伝え、「Sさんには近づくな」とアドバイスしたのです。
発明展を主催する県や市あるいは発明協会等の公的機関の人たちも、「さわらぬ神にたたりなし」という態度になりました。公的な諸団体への入会も難しくなっていき、その後Sさんに関するうわさも聞かなくなってしまいました。孤独の中で亡くなったと思われます。
6)人間不信よりの回帰
「人間不信」といっても、Sさんのように刷り込みが強烈な場合は、「人間信頼」へと回帰するのは、非常に難しいといえます。
「人間信頼」への回帰はSさん自身が「人間不信」の強い脚本を持っていることを認め、そのことに嫌気を感じ、「人間信頼」への憧れを持つことです。そして、Sさん自身の「人間不信」の脚本に基づく種々の行動に気付くことです。
そして、このような意識の中で「人間信頼」の思考や行動を試みて、それによりいかにすばらしい結果が到来するか、そして、暖かい人の愛が得られるかを身をもって感じてもらうことなのです。
しかし、仮にSさんがこのような回帰への努力をしたとしても、最終的に「人間信頼」の全人格を得るには、長い年月と大変な努力が必要です。Sさんが何度も見た父親のつらく厳しい姿、父親からの言葉、そして態度で伝えられた「人間不信」は、Sさんの顕在意識の部分だけではなしに、氷山の水面下の部分に相当する潜在意識にも深く深く刻み込まれています。それが、Sさんに「人間不信」の思考や行動を無意識かつ自動的に取らせてしまうのです。
Sさんが「人間信頼」への回帰を願い、そのように顕在意識で意識すれば、経験して気付いた具体的なケースについては同じことを繰り返さないようになれます。例えば、Sさんのところにアイディアのことで、いろいろ相談に来ていた人が、突然来なくなったとします。Sさんはその人に対する不信を募らせます。そして、無性に攻撃的行動をとりたい衝動に駆られるでしょう。
Sさんが気付かなければ、「今までいろいろ教えて面倒を見たのに、突然来なくなるとは何事だ。よし、思い切り高い手数料を請求してやれ」と決断し、具体的に攻撃的な行動に出てしまうことが想定できます。
しかし、Sさんが過去の経験から、「あっ、また(人間不信を)やろうとしているな。いかん。いかん。」と気付き、自分がやろうとした行動に嫌悪感が働いたならば、「最近どうしていますか」等と、ご機嫌伺いの軽い電話をするような穏やかな行動もできるというものです。そうすれば、相手の人の反応も「いやいや、いろいろお世話になったにも関わらず、ご無沙汰して申し訳ありません。またアイディアの件ではご相談申し上げようと思っています」等と、関係を修復できるかもしれません。
さらに、同じような状況が起これば、もっと気付きやすくなって、プラス方向の思考や行動が容易になっていくのです。気付いて、気付いて、さらに経験を積んでいけば、一歩また一歩と「人間信頼」へと進むことになります。
7)Sさん知財部へ
もし、Sさんが知財部へ配属されたならば、担当部の部長としてはどんな仕事をさせたらいいのでしょうか。
ライセンス関連の仕事はどうでしょうか。ライセンス料を得るために、侵害発見をする業務は、他社を常に疑う目で発見に努めるのですから、うってつけかもしれません。しかし、他社とのライセンス交渉は担当できないでしょう。いくらライセンス交渉といえども、相手方とのある種の信頼関係がなくては交渉が進まないと思われるからです。
明細書作成、あるいは特許事務所への明細書作成外注の業務はどうでしょうか。やはり、発明者や特許事務所との人間関係が基本となる業務ですから、いろいろ問題が起こる可能性があります。
進捗管理等の事務部門はどうでしょうか。比較的人間関係が入りにくい部門なので、担当してもらえるかもしれません。しかし、ミスが起こったようなときには、Sさんの性格が激発する可能性があります。自分が原因の元となっていても、他人を攻撃することによって、自分を正当化しようという行動がでてしまうことになりそうです。
調査業務(出願に先立つ先行技術調査)はどうでしょうか。ライセンスのための侵害発見と同じように、比較的うまくいく分野かもしれません。しかし、調査ミスが起こったときには、事務担当のケースと同じように、やはり問題が起こるでしょう。
問題が起こるたびに、上司としてはよく説明をし、他人を攻撃するのではなく、自分の問題点にのみ着目し、その問題点を解消する努力を促すべきでしょう。いくつもの経験によって、同じような場面は少なくなっていくと思われます。もちろん、Sさん自身が問題を起こした時の自分の態度に嫌悪感をもっていることが前提ですが。
8)まとめ
Sさんの「人間不信」という凄まじいまでのケースを見てきました。ここまで深く「人間不信」が、刷り込まれてしまった人は多くはありません。
「人間信頼」への回帰についても説明しました。しかし、Sさんのケースはもはや病的ですらあります。従って、本格的に治癒を図るためには、心療内科にお世話になることが必要かもしれません。回帰の方法としては、上記のほかに人生脚本の書き換え(ゲシュタルトセラピー)という方法があります。セラピストの力を借りて、脚本を書き換えるのです。もちろんSさんの「人間不信」の脚本を直ちに書き換えることはできませんが、脚本の元となった事件をいくつも再現して、書き換えの方へ導くというものです。機会を改めて例を示したいと思います。
また、多くの人が幼児期の体験、例えば友達に貸したお金を返してもらえなかったよう経験から、小さいながら「人間不信」の脚本が形成されている可能性はあります。それが自動的に表れて、人間関係を損なってしまうことがあり得ます。一度はやむをえませんが、その経験を踏まえて、二度目が起こらないように一度目の経験を強く意識したいものです。
以上