私の仕事
(パテントメディア2011年9月発行第92号掲載)
弁理士 小林徳夫
国内特許3部に所属する小林と申します。平成12年3月に入所し、すでに丸11年を経過しました。国内特許3部は、拒絶理由(拒絶査定)対応を主として、それ以外に特許無効審判や侵害訴訟等の係争を担当する部署であり、私も入所以来、現在まで国内特許3部に所属して、拒絶理由通知の対応や拒絶査定不服審判などのいわゆる中間処理、特許無効審判や侵害訴訟等の係争事件、さらには税関での輸入差し止めといった、特許出願後に生ずる事件を主として担当しています。
ところで、上記のような仕事を担当していると、発明がたどる途はまさに人間の一生、すなわち人生そのものと思うことがあります。
弁理士会の標語に「生まれる発明、育てる弁理士」というものがありますが、これは発明の性質、そして発明に対する弁理士の関わりをうまく表現しています。
ここで、発明が生まれてから消滅するまでを一部人生に喩えて、更に私の担当との関わりを含めて説明したいと思います。
発明はその創作という事実によって発生しますが、それを特許にするためには、必ず特許出願の手続をしなければなりません。発明をノウハウとして保護したいために特許出願をしないこともときにはありますが、特許出願なしでは特許権による保護は得られません。
これは、人間でいえば子供が生まれたときに出生届を提出するようなものです。
出生届を出すにあたり、親はその子供の将来を想ってどのような名前にするか悩みますが、特許出願の場合には将来の権利範囲をどのようにするか悩みます。つまり、出願書類である特許請求の範囲、明細書をどのように書くかについて悩むこととなります。
発明、ひいては発明に基づいて将来発生することとなる特許権はその権利範囲がミソですので、よい発明であっても特許権の権利範囲が狭いものとなればその価値は小さなものとなります。
したがって、いかに広い特許請求の範囲を書くか、またその特許請求の範囲を裏付ける実施形態を書くかが重要となり、ここは明細書を作成するにあたっての腕の見せ所となります。
特許出願をした後は、途中で出願審査請求などお金の掛かる手続きがありますが、審査に向けて進んでいきます。
人間も、意味合いは全く異なりますが、大きくなるには何かとお金の掛かることがあるのは似たようなものです。
ところで、特許出願が審査請求を経て審査にてそのままストレートに特許査定を得ることができれば、出願人にとっても言うことはなく、私たち中間処理を担当する部門の仕事もなくなってしまいます。
しかし、多くの特許出願についてはストレートに特許査定となることなく、少なくとも一度は拒絶理由が通知されます。この拒絶理由対応も私の担当のひとつです。
そして、拒絶理由通知に対してどのように対応するかはその後の特許の価値を左右する大きな要因ともなります。
人間でいえば、中学、高校、大学入試その他の試験等で試練に直面した(悪く言えば試験に落ちた)後の対応のようなものでしょうか。
しかし、一度試験に落ちたくらいで人生が終わりにならないように、特許出願も一度拒絶理由通知が来たくらいで特許化の道が閉ざされたことにはなりません。
特許出願での拒絶理由通知とは、このままの内容では特許にはなりませんよ、という特許庁からの連絡です。拒絶理由通知と一口に言ってもそこで指摘されている拒絶理由の内容は様々であり、新規性、進歩性、明細書の不明りょう、出願の単一性違反等々があり、当然に拒絶理由通知の内容によって採るべき対応も変わります。
このままでは特許にならないというイヤな通知ではあっても、拒絶理由通知で指摘されている内容は、出願書類を作成する側からでは気づかない視点からの指摘や示唆が多く含まれており、むしろありがたいことが多いのも事実です。
例えば、請求の範囲や明細書を作成する者は、インタビュー等を通じて理解した発明を自分の言葉で文章とするため、出来上がった文章を自分で読んでもそれは対象となる発明そのものを表していると理解します。また、このことは自分自身が発明した内容を知って出願書類に目を通す発明者も同様の傾向があります。
一方、特許庁の審査官は、当然のことですが審査する前には発明の内容を全く知らず、出願書類を読んで出願された発明を理解します。そうすると、先入観がないため、書き手の意図しない解釈がなされ、それがときには記載不明りょうとして、或いは公知技術との差別化が十分に図られていない、と判断されて拒絶理由が通知されることとなります。
拒絶理由通知はまだ出願段階での手続であるため、特許になった後に比べて、より自由度の高い状態(当然法律上の様々な制限はあります)で修正することができ、内容を整理した状態で特許を取得することができます。
ただ、拒絶理由対応にあたっては、拒絶理由通知の指摘内容を鵜呑みにすることはありません。拒絶理由の指摘内容を客観的に技術的、法的な観点から検討し、その拒絶理由通知の指摘に理があると判断した場合にはその指摘に従って正し、そうでない場合には反論します。
人間も、確かに試験に落ちること等はそれ単独で見れば残念なことですが、その結果、改めて自分の欠点や弱点に気づくなど、広い視野で或いは後から振り返ってみるとむしろ利益となっていることも多いものです。
こうして、拒絶理由という関門を乗り越えて特許査定を得た発明は、年金を納付し、特許庁の登録原簿に設定登録され晴れて特許権の発生となります。中間処理の担当者としても自らが拒絶理由通知に対応した出願が特許査定になったとの連絡を受けるとひとまずホッとします。
人間で言えば、学校を無事卒業し、ようやく社会人になったというところでしょうか。
しかし、社会人になったら人間それで一人前とはなかなか言えないように、現実には特許が成立してもこれにて一件落着めでたしめでたしとはなりません。
人が社会に出ると、社会の一部に組み込まれることにより職場や地域などでいろいろなしがらみや問題が起きるように、特許が発生した発明もその効力ゆえにいろいろな問題が発生し得ます。
発明がその真価を発揮するのは特許となってからです。それまでは特許出願中にすぎず、独占排他的な権利は発生していませんでしたが、特許になって初めて天下御免の独占排他権が発生します。すなわち、特許権の効力は、特許発明は特許権者のみが独占排他的に実施できるというものであり、第三者が許諾なしに特許発明を業として実施すると侵害行為となります。
このため、発明は特許となって初めて、権利者の事業を守る盾となると同時に事業を積極的に行う矛ともなり、この両者は矛盾することなく機能してくれます。
しかし、有効な特許は、権利者とっては有力な武器となりますが、他者から見れば反対に大変な脅威となり得ます。
したがって、他者からみてその特許が事業の障害となる場合には、その他者は特許を無効とするべく特許無効審判を請求することがあります。この特許無効審判も私の担当の一つです。
特許無効審判が出願から特許までの手続と大きく異なるところは、特許出願から特許査定までは出願人(代理人)と特許庁との間のやり取りであったのに対して、特許無効審判は特許を無効にしようとする他者(請求人)と特許を守ろうとする権利者(被請求人)との対立構造を有し、その間で特許庁が特許の有効・無効を判断するというものです。
したがって、その攻防は出願段階の拒絶理由通知に対する対応に比べても大変激しいものとなります。
さらには、特許の権利範囲に含まれるような技術を他者が業として実施している場合には、その実施行為を差し止め、また実行行為に基づく損害賠償を請求するなど、特許権侵害訴訟等の権利行使可能となります。
このような権利行使に関する事件も私の担当分野です。ただし、侵害訴訟に関して弁理士は弁護士さんと共同で代理人として或いは補佐人として対応することとなります。
実際に、特許となった発明のうち、特許無効審判にて特許の有効性を争い、また他者が特許権を侵害したとして権利行使に及ぶのはほんの一部であり、多くの特許はこういった問題が起こることなく、年金を納めながら年を重ねていきます。
しかし、特許となった後に無効審判や特許権侵害といった目に見える事件が発生していない場合であっても、特許権の存在ゆえに他者が発明技術の参入や実施を断念しまたは中止するという、特許権者が把握しない形で特許権が活躍しているということはよくあります。
そして、人間が天寿を迎えるように、特許になった発明も出願から20年を持って存続期間満了となり消滅します。
これらが、発明が生まれてから特許となり最後に特許権が消滅するまでのおおまかな流れであり、特許出願から何の障害もなく特許になり無事に存続期間を満了するものもあれば、紆余曲折を経て特許になるもの、さらには特許になることなく拒絶査定確定等により消滅するものもあります。
まさに、個々の発明はその内容もさることながら、その一生についても千差万別・十人十色であり、人生に似た側面を持っています。
私は特許出願がされた以降の手続を主として担当しているため、発明の生死に直接関わることも多くあります。そのため、うれしい結果を受けて権利者とともに喜ぶときもあれば、残念な結果を受けて権利者とともに悔しがるときもあります。
私は、弁理士になってから11年になりますが、この11年という年月は出願から特許権の存続期間が満了するまでの約半分であり、発明の一生という観点から見れば一つの発明の出願から存続期間の満了までをまだ一度も経験していないこととなります。
いずれは、私が担当した出願で特許となったものも、その存続期間が満了して消滅することとなります。
その際には、人が自分の人生を振り返って恵まれた良い人生であったといえるように、よい特許権であったと発明者や権利者に思われるような仕事ができれば幸いです。