新規事項
平成23年1月6日執筆
平成23年2月8日掲載
弁理士 濱名哲也
平成22年6月11日付けで、新規事項の審査基準が改訂されましたので、その内容を説明します。また、新規事項に関する最近の判例を紹介します。
1 背景
平成20年5月30日に言い渡された知財高裁の判決において、補正が許される範囲について一般的な定義が示された。
その後の判決でも同定義が引用された。
特許庁は、これを受け、新規事項についての審査基準を改訂した。
(平成22年6月11日付け特許庁HP)
[改訂趣旨]
現行の審査基準に基づく審査実務を変更せず、大合議判決との整合性をとる。
今回の審査基準改訂により、現行の審査基準に基づく審査実務変更は行なわない。
[改訂骨子]
a.一般的定義の新設
b.「新たな技術的事項を導入しないもの」の類型についての整理
c.「除くクレーム」とする補正についての整理
d.審査基準のいずれの類型にも該当しないものの取扱い
2 テーマ
「一般的定義」を用いて判示された新規事項の判断手法について検討。
3 補正範囲(新規事項)の一般的定義
1.一般的定義
「明細書又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり、補正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該補正は、「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
(特許庁HP『明細書、特許請求の範囲又は図面の補正(新規事項)」の審査基準の改訂について』抜粋)
補正要件
(1)「明細書又は図面に記載した事項」とは、 当業者によって、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより 導かれる技術的事項である。
(2)補正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において、 新たな技術的事項を導入しないものであるとき、補正違反ではない。
2.審査基準の判断手法
(1)明示事項 →OK
(2)明示はないが、自明事項→OK
(∵新たな技術的事項を導入するものでないから)
(a)自明とは
当業者が出願時の技術常識に照らしてそこに記載されているのと同然であると理解する事項
(b)周知・慣用技術というだけでは、自明ではない。
*以上のように、審査基準は、従前とほとんど変わりない。
補正を認める理由付けとして上記定義が使用されている(改訂趣旨に沿った改訂)。
(詳細は、特許庁HP参照。)
4 今回の取り上げる事件
最近の判例を取り上げる。
(1)平成21年(行ケ)第10133号審決取消請求事件(以下、「杭埋込装置事件」、11月判例研究と同じ事件)
(2)平成21年(行ケ)第10175号審決取消請求事件(以下、「暖房システム事件」)
5 杭埋込装置事件
(1)請求の内容
無効審判(無効2006-80193号)についてした、訂正を認める、本件審判の請求は成り立たない、との審決を取り消す。
(2)判決の内容
審決取り消す。
(争点)1.訂正が新規事項であるか 2.進歩性を有するか?
特許庁と裁判所とにおいて、新規事項についての判断は、一致したが、
新規事項にかかる技術に関する進歩性についての判断は、一致しなかった事案。
(3)事案の説明
【請求項1】
基礎用杭を地盤に埋め込むための杭埋込装置であって,
油圧式ショベル系掘削機(9)と,当該油圧式ショベル系掘削機(9)のアーム先端部に取り付けてあり,四角形の台板(14)の上部に設けられており油圧モーター(21)を有する振動装置(2)と杭上部に被せるために当該台板(14)の下面に設けられている円筒状の嵌合部(15)を有する埋込用アタッチメント(A)と,当該埋込用アタッチメント(A)の上部嵌合部(15)の側部に設けられている相対向するピン孔(16,16)に自在継手を介して着脱可能に取り付けられる穿孔装置(4)と,を備えており,
上記四角形の台板(14)の四辺は,上記円筒状の嵌合部(15)よりも張り出しており,上記台板(14)の四辺のうち油圧式ショベル系掘削機(9)側の辺は,油圧式ショベル系掘削機(9)側にある上記振動装置(2)の油圧モーター(21)の端よりも油圧式ショベル系掘削機(9)側にあり,上記穿孔装置(4)は,油圧モーター(43)と,当該油圧モーター(43)により回転駆動される穿孔ロッド(44)と,を備えており,
上記穿孔装置(4)と上記嵌合部(15)は,穿孔時と杭埋込時において選択的に使用されることを特徴とする,杭埋込装置。
・訂正後のクレームの内容の要約
1.(A)地面に孔をあけること、(B)孔に杭を打ち込むことのできる装置。
2.装置のアームの先端に、アタッチメントがある。
3.アタッチメントには、穿孔用のスクリューと、打ち込み用の杭と、が選択的に取り付け可能となっている。
4.アタッチメントの構造
4-1.台板がある
4-2.台板の上面に、モータを有する振動装置が置かれている。
4-3.台板の下面に、杭等を固定するための嵌合部がある。
4-4.台板は、嵌合部よりも張り出し、かつ、 台板の掘削機側の辺の位置は、前記振動装置のモータよりも、掘削機側にある。 (被告(権利者)は、これを根拠に、振動装置が保護される旨主張。)・争点
構成要件4-4は新規事項であるか否か?・明細書等に記載されていた事項
訂正に係る技術事項は、明細書には記載されておらず、図面にのみ記載されている。
[裁判所の認定および判断]
新規事項についての判断
1.直接的な記載なし
2.8つの甲号証により周知技術認定
(モータを含む振動装置が収まる程度の大きさとした台板の構成は周知)
3.構成要件4-4は、周知構成の一つに特定するもの
4.構成要件4-4は、設計事項である
↓
○この程度の限定は、新たな技術的事項を導入するものではないから、 訂正は、明細書等の範囲内においてするものである。
進歩性についての判断
・無効審判においては、引例との相違点に基づいて、進歩性を肯定したが 裁判所においては、引例との相違点は、設計事項の範囲内と判断された。 (相違点とは、上記構成要件4-4の技術事項)
[進歩性についての判断理由]
・特許庁が進歩性を肯定した理由
引用文献に記載の構成が、相違点にかかる構成(4-4の構成)と同様のものであるか否か定かでない。
・裁判所が進歩性を否定した理由
相違点にかかる構成(4-4の構成)は設計事項である。
(判断に相違が生じた理由は、知財高裁で、新たな公知文献が提出されたことによる。)(4)対立事項
訂正 進歩性 相違点 結果特許庁 OK あり 非容易 特許維持裁判所 OK なし 容易 審決取消判断の一致性 一致 不一致 不一致 不一致(5)コメント
・明細書に明示がなくても、周知技術を参照して設定的事項であると 認められるときは、新たな技術的事項を導入するものではないから、訂正が認められる。
・進歩性違反の証拠として提出された甲号証は、新規事項の判断の根拠となる周知技術の認定のために裁判所で引用された。
すなわち、出願前の公知文献は、(1)進歩性を否定する事実となる一方、 (2)周知技術を客観的に固める事実となるため、当該周知技術が訂正事項と 関連する場合、訂正を許容するための事実にもなりうる、ことに留意。
・訂正事項を根拠とする作用効果の主張については、明細書に記載がなくても、 許容されている。明示していない技術事項を周知技術により明らかにして、 この技術事項を根拠に、当初明細書に記載されていない作用効果を主張する ことは、第三者の予測範囲を超えるため、不測の不利益を与えるとも考えられるが、この点については、特に、判示なし。
(6)まとめ
・新規事項ではないことの要件
・少なくとも設計事項の技術が適用される基礎技術の記載は必要
・訂正事項が周知技術である
・訂正事項が設計事項である
・新たな技術的事項を導入するものではないこと
・進歩性との関係
・周知技術を根拠とした訂正事項に基づいて、進歩性を主張することは困難
6 暖房システム事件
(1)請求の内容
無効審判(無効2008-800233号)についてした、「特許を無効とする」、との審決を取り消す。
(2)判決の内容
審決取り消す。
(争点)補正が新規事項であるか否か?
新規事項の判断が、特許庁と裁判所との間で異なった事案。
(3)事案の説明
[技術分野]
床下にコンクリート等の蓄熱層が形成されたものであって、
蓄熱層の表面若しくは内部に埋設された発熱体により蓄熱層に熱を蓄熱し、その熱の放射により暖房を行う蓄熱式の床暖房システム。
[課題]
・床下直下に暖房装置を設置する場合、ランニングコストがかかる。
・床下空間の空気層を蓄熱層で暖める場合、床面の温度上昇と室内の温度上昇との 間に時間差がある。
[発明の概略]
・深夜電力を使用して、イニシャルコスト・ランニングコスを低くする。
・蓄熱層からの熱放射により床面を加温して、床面からの二次的輻射熱により 室内を暖める。
・スリットを介して床下空間と室内空間とを接続し、床下空間内で暖められた 空気を室内空間へと対流させる。
【請求項1】
熱損失係数が1.0~2.5kcal/m ・h・℃の高断熱・高気密住宅における布基礎部を,断熱材によって外気温の影響を遮断し十分な気密を確保した上で,該布基礎部内の地表面上に防湿シート,断熱材,蓄熱層であるコンクリート層を積層し,蓄熱層には深夜電力を通電して該蓄熱層に蓄熱する発熱体が埋設された暖房装置を形成し,蓄熱層からの放熱によって住宅内を暖める蓄熱式床下暖房システムにおいて,
布基礎部と土台とを気密パッキンを介して固定してより気密を高め,ステンレスパイプに鉄クロム線を入れ,ステンレスパイプと鉄クロム線の間を酸化マグネシウムで充填し,ステンレスパイプの外側をポリプロピレンチューブで被覆してなるヒータ部を,銅線を耐熱ビニールで被覆してなるリード線で複数本並列若しくは直列に接続してユニット化されたコンクリート埋設用シーズヒータユニットが,配筋時に配筋される金属棒上に戴架固定後,1回のコンクリート打設によりコンクリート層内に埋設され,該シーズヒータはユニット又は複数のユニットからなるブロックごとに温度センサーの検知により制御され,さらに床面の所定位置には室内と床下空間とを貫通する通気孔である開閉可能なスリットを形成し,蓄熱された熱の放射により床面を加温するとともに,加温された床面からの二次的輻射熱と,床下空間の加温された空気がスリットを介して室内へ自然対流する構成とすることで,居住空間を24時間低温暖房可能で暖房を行うことを特徴とする蓄熱式床下暖房システム。
・補正後のクレームの内容の要約
1.高断熱・高気密住宅における蓄熱式床下暖房システム
1-1.熱損失係数が1.0~2.5kcal/m2・h・℃の高断熱・高気密住宅
2.布基礎の構成
2-1.防湿シート、断熱材、蓄熱層を積層してなる
2-2.蓄熱層には、深夜電力を通電する発熱体が埋設されている
2-4.床面の所定位置には室内と床下空間とを貫通する通気孔がある
2-5.蓄熱層からの熱により床面を加温するとともに、床下空間内の暖気をスリットを介して室内へ対流させる。
2-3.居住空間を24時間低温暖房可能とする(実施例では深夜通電する)
(その他の構成要件は省略。)・争点
構成要件1-1は新規事項であるか否か?・補正理由
36条等の拒絶理由はない。深夜通電のみで、24時間室温を維持する作用効果を技術的にフォローする趣旨で「高断熱・高気密住宅」を明確化したと思われる。・明細書に記載されている事項
(a)「表3は山形県酒田市にて実際に本発明の蓄熱式床下暖房システムを 使用した場合の電気料金を調べた 結果を示したものである。」
(b)「ヒータ利用による電気量料金の目安(東北電力)
電気料金は、熱損失係数1.2kcal/m2・h・℃の住宅使用、
室内温度18℃、室外温度3℃、稼働率65%で試算しております。」
*つまり、作用効果については、熱損失係数1.2kcal/m2・h・℃の住宅を山形県酒田市において適用した事例のみ開示。
・周知技術として認定された事実
「平成11年次世代省エネルギー基準」
Ⅰ地域(北海道)では,1.4kcal/㎡・h・℃
Ⅱ地域(青森県外2県)では,1.6kcal/㎡・h・℃
Ⅲ地域(宮城県外5県)では,2.1kcal/㎡・h・℃
Ⅳ地域(茨城県外33県)では,2.3kcal/㎡・h・℃
Ⅴ地域(宮崎県外1県)では,2.3kcal/㎡・h・℃
Ⅵ(沖縄県)では,3.2kcal/㎡・h・℃
[裁判所の認定および判断]
(A)第1判断
解決課題との関係による判断手法
1.補正事項は、本件発明の解決課題及び解決機序と関係する技術的事項ではない
2.補正事項は、本件発明における課題解決(発明)の対象を漠然と提示したもの
3.補正事項は,本件発明のその範囲を明らかにするために補足したもの
4.補正事項について原告は技術的事項を主張しているが、補正事項は、本件発明の課題解決の機序との関係において,客観的な技術的意義を有しない。
↓
補正は、明細書等の記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入していない。
よって、本件補正は不適法とはいえない。
<備考>原告の技術的主張
・原告は、1.0~2.5に補正した技術的意義を次のように主張している。
1.熱損失係数が2.5kcal/m2・h・℃以上になると,住宅内から損失してしまう熱量が大きすぎて,蓄熱層を高温にしなければ,その損失分を補充することはできなくなる。
2.熱損失係数が1.0kcal/m2・h・℃以下になると,断熱性が高くなり, 暖房効果はあるものの,冷房負荷が大きいという問題が生じるし, 断熱性が高ければ,本件発明を用いる必要性がない。
・裁判所の見解
原告の主張から,直ちに,「熱損失係数1.0~2.5kcal/m2・h・℃」 が,本件発明の課題解決の機序との関係において,客観的な技術的意義を有するものと解することはできない、として、原告主張を不採用。(B)第2判断
新規事項としての判断
(補正に係る記載事項が本件発明に関して技術的意義を有するといえる場合の判断)
<事実認定>
1.熱損失係数1.2kcal/㎡・h・℃の住宅仕様についての記載あり。
2.高断熱・高気密住宅とは、平成11年次世代省エネルギー基準で定めた 熱損失係数と対比して,それより良好な住宅を指すものと解される。
3.熱損失係数とは,室内外の温度差が1℃の時,家全体から1時間に床面積1㎡当たりに逃げ出す熱量を指す。
4.平成11年次世代省エネルギー基準に、基準が、1.4~2.3kcal/m2・h・℃とされていること
5.熱損失係数の計算精度は、高いものとはいえない。
↓
・補正は、「高断熱・高気密住宅」をある程度明りょうにしたにすぎない。
・補正は,本件出願当初明細書において既に開示されていると同視できる。
↓
∴本件補正は,明細書等の記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入したものではない。
(4)対立事項
補正 | 原告の補正についての技術的主張 | 周知技術を示す文献記載事項についての判断 | 結果 | |
---|---|---|---|---|
特許庁 |
NG
|
採用 (*)
|
不採用
|
特許無効
|
裁判所 |
OK
|
不採用 (*)
|
採用
|
審決取消
|
判断の一致性 |
不一致
|
不一致
|
不一致
|
不一致
|
(*)補正が新たな技術的事項を導入したものであるか否かの判断において、 原告の主張を積極的に採用したか否か。
(5)コメント
・本判例は、数値限定するとき、どこまで範囲を広げることができるかを判断する上で、一つの参考となる。ただし、他の案件に応用する場合には、 本件が特殊な事案であることに十分留意する。
・ 数値限定する構成要件が、課題解決と関係なく、数値自体に技術的意義を有さない場合は、ある程度、明細書記載事項よりも広げることができる場合がある。
・ 数値限定する場合、明細書に明示がなされていないときでも、周知技術からその範囲を定めることができる場合がある。
・ 数値が精確に計測することができない場合、上限下限を数値で示したとしても結局その範囲はあいまいなものとなるため、新規事項か否かの判断においては、重要視されない。
・ 裁判所では、補正が新たな技術的事項であるか否かについて判断する上において、補正が新たな技術的事項であるとする趣旨で、原告の主張を採用することはなかったが、仮に、審判時のように取り扱われていたとすれば、反対の結果になっていたと思われる。補正が新規事項でない旨主張する場合において、当該補正の技術的意義を主張することは、逆効果となる場合があるため、留意する。
(6)まとめ
・新規事項ではないことの要件
・ 少なくとも数値限定範囲内の1点は必要
・ 補正事項が周知技術から逸脱しない範囲
・ 発明の範囲を明らかにするための補足事項であること
・ 新たな技術的事項を導入するものではないこと
・ 発明の解決課題及び解決機序と関係する技術的事項ではない
以上