平成20年(行ケ)第10270号審決取消請求事件 (補正が適法であるとして、審決を取り消した事例)
平成22年6月11日
弁理士 村井純子
最近、ヒットした映画に『アバター』(Avatar)がありました。
「アバター」の意味は、「コンピューターネットワーク上の仮想的な空間において、自分の分身として表示されるキャラクターのこと」です。
今回は、この「アバター」が登場する特許出願に関する判例です。
審判補正時の補正が、「新規事項追加」に該当するかどうか問題になった事例です。
1.事件の内容
平成20年(行ケ)第10270号審決取消請求事件
平成21年2月26日判決言渡,平成21年1月22日口頭弁論終結
原告株式会社:インコムジャパン
被告:特許庁長官
【出願番号】特開2007-81965
【出願日】平成19年3月27日
【発明の名称】アバターの商品試着機能を備えた仮想空間回遊システム
手続補正日:平成19年6月22日(以下「先行補正1」という。)
拒絶査定日:平成19年7月23日
審判請求日:平成19年8月31日
手続補正日:平成19年8月31日(以下「先行補正2」という。)
手続補正日:平成19年9月11日(以下「本件補正」という。)
この本件補正が、審判において「新規事項追加」として補正却下になりました。 そして、裁判所において、この本件補正が「新規事項追加かどうか?」争われました。
2. 発明の要旨
(1)コンピュータ上の仮想店舗Aにおいて、商品a(帽子)を試着したまま、他の仮想店舗Bにおいて商品b(ジャンパー)の試着を可能にする技術です。
(2)争点となった記載
本件補正された請求項1は長文ですので、争点の対象となった部分(移動後試着アバター用データ生成送信手段)のみを取り上げます。
本件補正においては「移動後試着アバター用データ生成送信手段」の説明として、下記の(a),(b)全部が追加して補正されています。
…前記の或る仮想店舗Aが提供している或る商品aを試着している試着アバターに関して,前記仮想店舗Aとは異なる『他の仮想店舗』B内への位置移動情報を受信したとき,前記の受信した位置移動情報に基づいて,前記『他の仮想店舗』B内に移動した後の移動後試着アバター及びその周辺空間を3次元的に表示するための移動後試着アバター用データを生成し,ユーザー側に送信するための移動後試着アバター用データ生成送信手段であって,
(a)前記の仮想店舗Aの商品aを試着したまま『他の仮想店舗』B内へ移動した移動後試着アバターを前記『他の仮想店舗』B内に陳列されている商品bに近づく位置へ移動させるための位置移動情報を,ユーザー側から受信したとき,前記の受信した位置移動情報と前記試着状態記憶手段から抽出された前記試着済み商品aに関する仮想店舗ID及び商品IDとに基づいて,前記移動後試着アバターが前記の仮想店舗Aの商品aを試着した状態を維持したまま,
(α)前記『他の仮想店舗』B内において,
(β)前記『他の仮想店舗』Bが提供・販売する商品bについての購入や試着の検討がし易くなるように,
(γ)前記試着アバターを前記商品bに近づく位置へ移動させ,
(δ)前記移動後試着アバターと,前記移動後試着アバターが試着している仮想店舗Aの商品aと,前記陳列されている『他の仮想店舗』Bの商品bとを,同じ一つの3次元空間の中で,それらが互いに3次元的に近くの位置に配置されるように表示する
ための,移動後試着アバター及びその周辺空間を3次元的に示す移動後試着アバター用データを生成し,ユーザー側に送信する手段と,
(b)前記『他の仮想店舗』B内に存在する移動後試着アバターと,前記の『他の仮想店舗』B内に存在する移動後試着アバターが試着している前記仮想店舗Aの商品aと,前記『他の仮想店舗』B内の商品bとを,同じ一つの3次元空間の中で,それらが互いに3次元的に近くの位置に配置されるようにユーザー側に表示させながら,ユーザー側からの前記商品bに関する購入検討情報を受信する手段と,
を含む移動後試着アバター用データ生成送信手段と,…
3. 審決の内容 (補正事項の検討について)
特許庁の審決においては、「位置移動情報を受信してから購入検討条件を受信するまで」のタイミングで、他の位置移動情報を取得して行なう処理については、当初明細書に記載がなく、またこの処理は当初明細書から自明な事項ではないと判断されました。
具体的には、以下のように表現されています。
本件補正後の請求項1の記載からみて,上記発明特定事項1の『移動後試着アバター用データ生成送信手段』は,仮想店舗Aが提供している或る商品aを試着している試着アバターが,前記仮想店舗Aとは異なる「他の仮想店舗」B内への位置移動情報を受信してから,「他の仮想店舗」B内に陳列されている商品bに関する購入検討情報(試着指示情報)をユーザー側から受信するまでの処理手段を特定しようとするものと認められる。
つまり,上記発明特定事項1の(a)における下線部分,(b)における下線部分は,いずれも「移動後試着アバター」が「他の仮想店舗」Bの商品bを試着する前の状態を特定する記載と認められる。そして,当初明細書等の【0043】段落に…記載されている事項は,試着アバターが「他の仮想店舗」Bの店頭に位置している状態で,ユーザーがマウスなどで所定の操作を行うと,試着指示情報(購入検討情報)がユーザー端末で生成され,それがネットワーク経由で送信されるということに留まり,上記発明特定事項1で特定されるような,試着指示情報(購入検討情報)が発せられる前に,「前記『他の仮想店舗』Bが提供・販売する商品bについての購入や試着の検討がし易くなるように」(=β),「前記試着アバターを前記商品bに近づく位置へ移動させ,前記移動後試着アバターと,前記移動後試着アバターが試着している仮想店舗Aの商品aと,前記陳列されている『他の仮想店舗』Bの商品bとを,同じ一つの3次元空間の中で,それらが互いに3次元的に近くの位置に配置されるように表示する」(=γ+δ)ための処理について記載していない。
また,当初明細書等におけるその他の記載を参酌しても,アバターが仮想店舗内を移動することに合わせてアバターの周辺の仮想店舗の3次元画像を表示することについての記載はあるものの,商品bに関する購入検討情報(試着指示情報)を受信する前に,システムがユーザーの意図する商品bを認識して,「商品bについての購入や試着の検討がし易くなるように」という目的を達するために,特定の表示を行うことについての記載はないから,「前記『他の仮想店舗』Bが提供・販売する商品bについての購入や試着の検討がし易くなるように」(=β),「前記試着アバターを前記商品bに近づく位置へ移動させ,前記移動後試着アバターと,前記移動後試着アバターが試着している仮想店舗Aの商品aと,前記陳列されている『他の仮想店舗』Bの商品bとを,同じ一つの3次元空間の中で,それらが互いに3次元的に近くの位置に配置されるように表示する」(=γ+δ)ことについて記載されているとは認められない。
また,商品bに関する購入検討情報(試着指示情報)を受信するまでに,システムがユーザーの意図する商品bを認識して,商品bについての購入や試着の検討がし易くなるように,特定の表示を行うことが,当初明細書等の記載から自明な事項とも認められない。このことから,上記発明特定事項1は,当初明細書等に記載された事項の範囲内のものとは認められない。
…処理は,移動後試着アバターを商品bに近づく位置へ移動させるための位置移動情報」をユーザー側から受信したことを前提としており,(γ)がユーザーの操作指示であると解すると,既に受信したユーザー側からの位置移動情報と全く同じ内容の操作指示を再度ユーザーが行うことになるところ,(γ)はエラー発生時等の例外処理でもないから,このタイミングで「試着アバターを前記商品bに近づく位置へ移動させ」るためにユーザーの操作指示が与えられることは,コンピュータの動作又は操作として不自然であり,合理的でない。したがって,(γ)の「試着アバターを前記商品bに近づく位置へ移動させ」るのは,「前記の受信した位置移動情報と前記試着状態記憶手段から抽出された前記試着済み商品aに関する仮想店舗ID及び商品IDとに基づいて,」の(ユーザー側から)「受信した位置移動情報に基づいて」,サーバーシステムが実行する処理であると理解するのが合理的である。
4. 裁判所の判断
(1)明細書の記載についての判断。
【1】(α)~(β)については、「移動させる処理」が記載されているため、この移動による効果が併せて記載されている。
【2】(γ)については、「位置移動情報を受信する」ことが前提として記載されているので、この位置移動情報に基づいて試着アバターを移動させる処理が記載されていると理解するべきであり、この理解に不自然な点はない。
【3】(δ)については、「位置移動情報に基づいて処理を行なうことは、3つ(試着アバター・試着商品a・陳列商品b)を近くの位置に表示することを意味しており、(β)の効果に繋がると理解できる。
具体的な内容に興味がある方は、以下をご覧ください。
【1】について
ユーザー側からの位置移動情報に基づいて,…商品aを試着したままの状態で,試着アバターを移動させる処理について記載されているものであり,そのような移動によって,他の仮想店舗B内において商品bの購入や試着の検討がし易くなるという効果が併せて記載されていると理解することができる。
【2】について
…位置移動情報はユーザー側が送信し,サーバーシステムが受信するものであり,上記の(γ)は…ユーザー側からの(他の仮想店舗B内において)「更に同店内の商品bに近づく」という内容の位置移動情報をサーバーシステムが受信したことを前提として記載されているものであることからすると,試着アバターを商品bに近づく位置へ移動させるという内容の位置移動情報に基づいて,そのように試着アバターを移動させる(そのようなデータを生成し,送信する)というサーバーシステムの処理が記載されていると理解する以外にないというべきである。
このように理解することについて,被告は,既に受信したユーザー側からの位置移動情報と全く同じ内容の操作指示を再度ユーザーが行うことになり,不自然であり,合理的でない旨主張するが,…ユーザー側からの位置移動情報を受信したことに基づいて,その受信内容に応じた処理を行うことに,何ら不自然な点はないから,被告の主張を採用することはできない。
【3】について
…他の仮想店舗B内にいる移動後試着アバターについて,更に同店内の商品bに近づくというユーザー側からの位置移動情報に基づいて,…試着アバターが商品aを試着したままの状態で,…試着アバターを商品bに近づける処理を行うことにより,試着アバター,試着アバターが試着している商品a,陳列されている商品bの3つを互いに近くの位置に表示することを意味するものであり,これによって…『商品bについての購入や試着の検討がし易くなる』という効果が達成されることにつながるものと理解することができる。
(2)新規事項追加になるかどうかについての判断
…「サーバーシステムが,(他の仮想店舗B内にいる移動後試着アバターについて,更に同店内の商品bに近づくというユーザー側からの位置移動情報に基づいて,試着アバターが商品aを試着したままの状態で,)試着アバターを商品bに近づける処理を行うことにより,試着アバター,試着アバターが試着している商品a,陳列されている商品bの3つを互いに近くの位置に表示すること」,これによって「商品bについての購入や試着の検討がし易くなる」という効果が達成されることが記載されているものと認められる。
そして,このように表示されることによって,商品a(帽子)と商品b(ジャンパー)を近くに対比して観察することができるようになるところ,…本件特許出願に係る発明は,仮想空間回遊システムにおいて,アバターが,ある仮想店舗の商品を試着したままの状態で,仮想空間内の複数の仮想店舗を渡り歩きながら,ある仮想店舗の商品と他の仮想店舗の商品とをその色合いや形状などについて直接比較検討することができるようにすることを目的としたものであり,「商品の色合いや形状などについて直接比較検討する」ことが,「商品の試着や購入について検討し易くする」ことを主たる目的とするものであることは自明であるというべきであるから,商品a(帽子)と商品b(ジャンパー)を近くに対比して観察することができることにより「商品の試着や購入について検討し易くなる」ことは当初明細書の記載から自明な事項であるというべきである。
(3)裁判所の結論
上記判断から、本件補正は、当初明細書に記載された事項又は当初明細書の記載から自明な事項であるため、新規事項に該当しないと判断しました。
5. 考察
(1)発明の構成から導き出さる効果は、そのものズバリが記載されていない場合でも、補正が認められる可能性があります。
今回の補正が認められたのは、特許請求の範囲の全体構成から見た場合、補足的な内容だったからではないかと、個人的には考えています。
審査官から、特許請求の範囲の補足的な要素について、新規事項追加を指摘された場合には、発明の目的から自明な構成であることを主張することも考えられます。
(2)ただし、明示されていない構成は、今回のように、もめてしまうケースもありますので、できる限り実施形態に明示しておくことが原則です。
特に、ソフトウェア関連発明においては、機能的に記載することがありますが、具体的なコンピュータの処理手順(処理の内容や処理のタイミング)を明確に書くべきです。
以上