中国商標「クレヨンしんちゃん」著作権侵害事件判決が示唆するもの(2012.5.9)
株式会社双葉社が1992年から管理している漫画家故臼井儀人の原作「クレヨンしんちゃん(中国名:蜡笔小新)」の著作権に基づいて、上海恩嘉経貿発展有限公司など3社を著作権侵害で提訴していた民事訴訟事件で、2012年3月、第一審の上海市第一中級人民法院は、「被告の行為は原告の著作権を侵害する」として、3社のうち1社に対し侵害行為の即時停止と合計30万元の損害賠償金の支払いを命じた。
双葉社は、2002年頃から、中国本土で中国版の「クレヨンしんちゃん」コミック本の出版や、関連グッズの販売などを展開していた。 一方、上海恩嘉経貿発展有限公司などは、1996年以降「蜡笔小新」の文字商標や図形商標を先駆登録し、子供靴などの関連商品を販売していた。
2004年6月~7月には、上海のアパレルメーカーが、双葉社からライセンスを得て販売した「クレヨンしんちゃん」の子供服、かばん等について、商標権侵害を理由に当局によって大手デパートなどの売り場が閉鎖され、在庫も押収されるという経緯があった。
著作権侵害事件の経緯は概略次のとおりである。
2004年 | 上海恩嘉経貿発展有限公司などに対し上海市第一中級人民法院に著作権侵害訴訟提起 |
2004年8月 | 著作権侵害の仮処分決定 その後、上海市第一中級人民法院は、「商標権に関する審判を優先すべきである」として訴えを不受理処分、双葉社は控訴 上海市高級人民法院は訴えを不受理処分、双葉社は上訴 |
2008年11月 | 最高人民法院は訴えを「受理すべきである」として上海市高級人民法院に差戻し判決 上海市高級人民法院は再審理の後、上海市中級第一人民法院に差戻し判決 |
2011年9月 | 上海市中級第一人民法院は審理再開 |
(原告双葉社の主張と請求) 「被告の行為は原告の著作権を侵害し、同時に市場の秩序を乱している。さらに、「クレヨンしんちゃん」の著作権保持者という原告のイメージや営業活動に対しても大きなマイナス影響を及ぼし、原告に償うことのできないほどの多くのダメージをもたらす」として、上海恩嘉経貿発展有限公司・広州市誠益眼清有限公司・江蘇響水県世福経済発展有限公司の3社に対し著作権侵害による損害106万元の賠償を請求 |
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2012年2月 | 上海市中級第一人民法院における口頭審理 |
2012年3月 | 双葉社の主張を容認し、「被告の行為は著作権侵害である」とする第一審判決 |
(双葉社発表の判決要旨:一部筆者加筆) 「蜡笔小新」の漫画イメージ(図形:下記参照)は、原作者臼井儀人によって完成された創作であり、そのキャラクターイメージ、顔の表情などは独創性があり、中国著作権法で保護されるべき芸術作品である。 (本件図形及び文字商標) 被告(上海恩嘉経貿発展有限公司)は、原告が支配権を専有する著作権の複製、発行及びインターネットによる公開配信行為を行い、原告の著作権を侵害した。 |
この判決に対し上海恩嘉経貿発展有限公司は、「本件は著作権侵害の争いではなく、商標権と著作権に関する争いである。当社は登録した商標を合法的に使用しており、当社の行為は商標権の正当な使用である」と主張し、また、他の2社も「文字と図案を合法的に登録しており、著作権侵害には当たらない」と主張している、との報道もある。
この判決では、上海恩嘉経貿発展有限公司などが先駆登録した商標権の有効性には直接的には言及してはいないが、中国商標法第31条は「登録出願にかかる商標は他人が有している先の権利を侵害するものであってはならず、他人がすでに使用し、一定の影響力を与えている商標を不正な手段によって先駆けて出願するものであってならない。」と定めており、この規定とあわせて勘案すれば、先行の著作権を侵害する登録商標は有効でないことを説示しているものと言えよう。
(登録無効審判及び行政訴訟)
双葉社は、上記著作権侵害訴訟と併行して、2005年1月中国商標局商標評審委員会(TRAB)に、上海恩嘉経貿発展有限公司等が登録した商標(図形商標5件・文字商標4件)の登録無効審判を請求した。しかしながら、この請求は、商標登録後5年の除斥期間を経過していることを理由に、これらの登録商標を維持する審決をした。
双葉社は、『上海恩嘉経貿発展有限公司等が登録した商標のデザインは、単行本「クレヨンしんちゃん」第8巻の91ページから盗用したものである。かつ、文字部分の「蜡笔小新」は「クレヨンしんちゃん」の繁体字版の中国語訳であり、双葉社が台湾、香港の出版社との契約時に決められたタイトルである。中国企業の商標登録行為は他人の商標登録を複製・模倣・使用した行為である』と主張して、北京市第一中級人民法院に行政訴訟を提起し、その後、北京市高級人民法院に上訴していた。
2006年12月、北京市高級人民法院は「TRABの裁定及び一審判決には一部の事実認定において誤りがあり、是正しなければならない。TRABは係争商標の無効審判請求を受理し、再審査を行わなければならない」とする判決を言い渡した。
双葉社は、この判決に基づいて2007年3月、TRABに再度無効審判を請求した。TRABは、再審理の結果「係争商標は不正手段によって取得された商標である」として、前記9件の商標を登録無効又は登録を取消した。この9件のうち4件は、3年不使用による取消である。
TRABの審決で無効又は取消となった商標のうち図形商標3件、文字商標2件については、商標権者がTRABの審決を不服として行政訴訟を提起していたが、一審、二審ともTRABの審決を維持する判決がなされ、これらの商標権は失効した。
行政訴訟の中で裁判所は、「中国企業の先駆商標登録は、不正利益を得るための行為であり、かかる行為は誠実信用の原則に反して双葉社の特定権益を侵害した上、中国の商標登録管理の秩序及び公共の秩序をも乱し、多大の行政審理資源及び司法資源を浪費し、公共の利益に損失を与えた」と認定した。
双葉社はこれら一連の訴訟を経て、著作権侵害で勝訴したことに大きな意味がある。
この判例が示唆するところは、日本企業の中国事業展開の際に、図形やデザイン化した文字についての著作権を知財戦略に組み込むことのメリットは大きいということである。
中国での事前の商標登録は当然の防衛策であるとしても、「芸術作品」レベルのデザイン文字は、先駆登録商標に対して著作権の権利主張が有効であることが証明された。
ベルヌ条約加盟国の多くは、著作物の発生要件について無方式主義を採用しており、原始的に著作権が発生する。この場合、著作権登録は効力発生要件ではなく第三者対抗要件であるが、著作物によっては著作権の発生時期が争いとなる場合がある。
図形やデザイン化した文字を著作権登録することによって著作権の発生時期は明確となり、紛争事件における証拠能力をより強化することができると考えられる。
オンダ国際特許事務所はこれまで、中国における商標戦略を進める上で、著作権及び著作権登録の有効性について広く提案してきた。当所は、今回の判決が企業の中国事業戦略上、極めて重要であることを意味するものとして受け止めており、今後、中国商標戦略の指針になるものと確信している。
この判例が、中国での先駆出願にかかる商標権と著作権とを調整する規範として定着することを期待したい
(中国における「蜡笔小新」の文字商標の登録状況)(2012年5月5日現在)
中国商標局のデータベースによれば、1996年1月から2011年5月までの15年余の間に、合計73件の登録・出願があることが判明した。
(内訳) | |
・双葉社が権利者または出願人であるもの | 14件(内1件は審査で拒絶) |
・審査によって拒絶された出願 | 5件 |
・3年不使用によって取消となったもの | 4件 |
・3年不使用による取消請求中のもの | 4件 |
・TRABによって商標無効とされたもの | 3件 |
・再審請求中のもの | 3件 |
・登録の取消請求中のもの | 7件 |
・異議申立中のもの | 7件 |
・登録済のもの | 26件 |
となっている。
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全出願案件のうち1/3以上の26件が中国企業又は個人によって有効に登録されているのみならず、係争中の商標には中国国内企業同士の案件も含まれている。
中国における文字商標「蜡笔小新」が各種商品分野で依然として健在であることは特筆すべきであろう。(タ)